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2015年(第16回)

【特別賞】
普段の生活から考える食と命と科学技術
沖縄工業高等専門学校 生物資源工学科 5年
上原 野亜

1.はじめに
 「食」という分野において、科学技術は大きな革命をもたらした。生物工学的知見からより迅速な品種改良、遺伝子組換え技術や家畜の性をコントロールすることによる有用な作物・家畜の作出が可能になり、工業技術の向上による遠洋漁業・大量養殖の発展など、陸(植物、陸上家畜)、河や海(水域生物)に生息する様々な生物をヒトへ有用な量、有用な形へ変化させていった。
 医療や衛生面の向上や、工業技術の発展など複合的に科学技術は発展し、今日の豊かな生活をむかえている。
 筆者が考える「食」とは、どんなに豊かな生活環境の中でも、「命を繋ぐために命を頂く」という普遍的な行為である。キリスト教では収穫感謝祭を行い、イスラム教では断食の習慣に皆で食べることの尊さを共有するなど、古くからヒトは頂く命へ感謝の意を表現してきた。しかし、今日の日本では、食糧自給率の低下や栄養の偏った食事、伝統的な食文化の衰退、食に対する「もったいない」の欠如から、食糧廃棄量が世界の食糧支援量を超えるなど、食に関わる様々な問題を抱えている。これらの背景には、人類が尊重してきた自然や命への畏敬の念の衰退が社会現象として現れてきたのではないだろうか。
 そこで私は、これからの食の在り方を作っていく上で、食育の推進が必要であると考える。一重に食育といっても、勉強では子どもたちは興味を持たないだろう。現在の日本だからこそ考えられる食への意識改革には、子どもたちが楽しく食と命の繋がりについて学べる実践的教育が魅力的であると考える。自分の生活の中で、「考えること」の実践にフォーカスを当てた食育を創造してみようと思う。

2.実践的な取り組み
 「学ぶ」ということは、「経験」することである。食育の第一歩は経験、即ち自らが、育てる・殺める・収穫する・料理するなど、実践から感性を育むことが不可欠だ。科学の考え方を交えて、更に面白く食を考えるために、「生命」と「技術」の2つの観点から実践的な取り組みができるか考えてみる。

2-1 生命と食
 食べ物は命である。私たちと姿形が違っても、間違いなく彼らの戦略を持って生きていた生命が今、私の目の前の白米であり、豚肉である。もっと面白いのは、それらの命が関わり合って様々な美味しい食を得ているということだ。例えば朝食のパンやヨーグルト。パンは小麦粉、水、卵、砂糖や塩とイーストを混ぜて練って、発酵させて、焼いて作るが、これはどういう意味だろう? なんで混ぜたらもちもちになって、焼いたらふんわり美味しいパンになるのだろう? なぜヨーグルトは、牛乳に微生物を入れて冷蔵庫の上に置いておくと、ちょっぴり酸っぱくて、とろとろした状態になるのだろう? パンやヨーグルトの作成に関わる酵母や乳酸菌も、小さな小さな命である。これらが生きるために利用し、精製した物質を私たちは味わい、美味しいなどと言っている。彼らにしたら大迷惑。何せこれからもっと増えよう、仲間を増やそうとしていたら、食べられてしまうのだから。
 家庭・学校・地域で料理をする時、そんな当たり前の現象を不思議に感じさせたり、いろんな生き物が周りに隠れていて豊かな食を作っている事を考えさせること、それこそ身近にできる学びである。ただ事実を頭に収納するのではなく、事実が「なぜ」起こるのか考えさせる。間違っていても、当たっていても良いから、自分の意見を持つことの手伝いを大人はすればいい。
 パンやヨーグルトは、植物の残骸を微生物が生きるために利用し、その時得られた生成物を新しい価値として私たちが食に取り入れている。食肉も同じだ。豚や鳥の餌は何か考えれば、そこにもまた命の繋がりが存在する。食の繋がりを考えると、背景には必ず食物連鎖の考え方があり、自分もその一部であることを知る。食と命の繋がりはまさに、食物連鎖である。強いものが上に立つのではなく、役割の違う役者が揃って、バランスを保っているのだ。様々な命は、他の命と相互に関わり合うことでしか存在できないのである。

2-2 技術と食
 目の前にある食事が、どのようにして作られ、どのようにしてここまで来たか。また、昔はどうだったか? 技術の発展を学んでいない子どもたちにこそできる発想、「なぜ」を創造すること。食に限らず視野を広げて、車や飛行機、陶器やカメラ、ぬいぐるみでもいいだろう。一見食に全く関係ないものでも、それらが作られるまでの過程や方法を考え、学び、それらが応用されて食が豊かになっている事を示すような事例もあるではないか。元々の材料は何なのか? 何から合成されているのか? 自然でそれは、どこにどのように存在するのか? 考えていくと、地球環境や生き物の命の繋がりがみえてくる。食品の移動には現在では車や船を用い、これらが動くために使っているガソリンは生物の残骸だと考えられている。陶器の材料となる泥や土は、地形を形作るために重要であり、その土によって育つ植物は変わってくる。また、植物相が変われば動物相も変わる。昔のヒトは、その地に存在する動植物を食したため、食文化はその地域を取り巻く自然環境によって大きく異なる。また、昔は車も船も飛行機もなく、動物の力を借りて物を運んでいた…。  全く関係ない話になっている、と感じるのは間違ってはいないが、全ては繋がっている。そのつながりを意識して日々を過ごすことが出来ていないだけだ。ヒントは生活のそこら中に広がっている。子どもたちに日々「なぜ」を考えさせてみること。そして自分の発想を大切にしてもらうこと。大人はその手伝いをして、否定せずその意見に耳を傾ければ良い。技術の発展によって、食に限らず生活は非常に便利になったが、その技術を築き上げてきた偉人たちは身の回りの事象に疑問を持って、仮説を立てて、様々な試みをして今日の生活を迎えている。すごい! で終わらず、掘り下げてみよう。複合的に絡み合ってできた道具や機械は、創造性溢れる考えがあってこそ出来上がったのだ。

 生命と技術。食のみならず、科学技術の恩恵を受けている私たちの生活の中の当たり前のものは、当たり前でなかったことを考えることが、豊かな生活の中で生じた様々な問題を解決する新たな技術を創造する、または新しい未来の形を創っていくことに繋がるだろう。

3.おわりに
 普段の生活の中に、命と命の繋がり、技術の原理などは身を隠している。特に食を深く考えると、命の根源や自らという存在の謎など、科学的に考えても未知で、生命の神秘を感じる不思議が潜んでいる。科学技術は、科学者が仮説を立て、実証していったことで自然に広がっていた不思議の解明やそれを利用した有効なモノを創り、豊かな生活を実現したのである。しかし忘れてはいけないのは、その技術を創ったのは技術がなかった時の自然科学へ疑問を投げかけた人がいたからということである。
 今後の科学技術は、これまでと方向性を変え、自然との共生を考えていく時代が既に訪れている。食とは、その考えを始める第一歩として、いちばん身近で、誰にでも必要なものであり、様々な技術の発展が絡み合って食卓に並んでいる。そして、食の中には命の繋がりが溢れている。生きる根本に戻ってみて、実践的に考えることで、科学技術の更なる発展に目を向けていける教育を食育から始めていこうではないか。

参考文献
1)食育推進 共生社会政策(内閣府)
  http://www8.cao.go.jp/syokuiku/
2)食品ロス削減に向けて〜「もったいない」を取り戻そう!〜(農林水産省)
  http://www.maff.go.jp/j/shokusan/recycle/syoku_loss/pdf/0902shokurosu.pdf