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2013年(第14回)

【特別賞】
科学技術を考えるのになぜ科学技術史を学ぶのか
京都大学 理学部理学科 1年
山本 大輔
山本 大輔

1.序論
 今日、日本社会のみならず世界中で科学技術が利用され、必要不可欠なものである、ということは共通の認識であろう。実際に周りを見渡せば、科学技術なしには生きられないことはすぐに分かる。たしかに、科学技術は人類に多大な恩恵をもたらしてきた。しかし、多くの弊害もあった。日本においては、公害問題や原発事故などが挙げられる。その結果、科学技術に対する不信感が生まれ、今日の科学技術軽視の風潮や研究費の縮小などにつながっているのではないかと考えられる。科学技術は、一人の人間が日常生活で行いうる、いかなる工夫をも凌駕する利便性を提供する人類全体の叡智の結晶であっても、決して完全でも不可謬でもないということをわすれてはならないのである。
 科学技術の発展に重要なことは科学技術とは何かということを一人一人が正しく理解する事である。そして、そのためには科学技術史を学ぶことが最善の方法であると考える。
 今回私は、科学技術は何かを再確認し、科学技術振興のために、大学生による科学史教育の実践を提案したい。

2.科学技術とはなにか?
 そもそも科学とは何であるか、また、技術とは何であるかという問いに答えるのは容易なことではない。科学哲学家の佐々木 力は「科学論入門」のなかで、科学は自然の法則性を探求する学問であり、技術は科学を利用するかどうかに関わらず、一定の手順でものや仕組みを作る技法のことである、と説明している。最初に自然現象を超人的な神や龍の仕業によるものという神話的な思考をやめ、万物の構成始原を探求し始めたのは、古代ギリシャの哲学者たちである。すなわち、古典的な科学とは哲学(フィロソフィー)であって、生活の中の技術(テクネー)とは一線を画していたのである。その後、科学が現在の物理学や化学がもつような基礎を得るためには、多大な時間を要した。つまり、科学が技術の基礎となりえたのはごく最近のことであった。蒸気機関が熱力学の知識なくして作られ、むしろ、熱力学の発展を促したのはその代表例である。産業革命が始まり19世紀にはいり、様々な熱機関を効率よく動かすという技術面からの要請に科学が必要だったのである。20世紀にはいると、現在のような科学に基づく技術が主流になる。例えば、原子物理学を基礎としている原子力は兵器や、発電に利用されている。
 すなわち、今日使われている科学技術とは、科学に基づいた技術のことである。近代日本の高度経済成長を支えたのは間違いなくこの科学技術である。しかし、その経済成長の電力需要により数多くの原発が建てられ、工場からの排水は様々な地域で公害病を引き起こしたことを忘れてはならない。つまり、科学は自由な方向に発展して良いが、技術は倫理的に抑制されるべきであるということに注意すべきだということだ。

3.科学技術の印象
 科学技術の発展よりも心の充実のほうが重要だ、という主張は頻繁に見聞きする。科学技術は社会において、非情緒的、あるいは、非自然的なものとして捉えられがちである。しかし、私はそのたびに違和感を覚える。近代の科学技術とは、自然の観察から得られた知識の実社会への応用にすぎず、その根源とは知的好奇心やあるいは、生活をより便利にしたい、多くの人を救いたいという極めて人間的、情緒的な動機であったことは科学技術史からすぐにわかることだ。科学技術を非情緒的なものにしているのは、何もない状況から科学技術を生み出す過程を知らないからではないだろう。火しか使えなかった人類が、どのようにして電気を活用する方法を見出したかを知らなければ、いかなる電化製品にも人間味を感じないだろう。
 すなわち、科学技術自体が非情緒的となることはなく、科学技術が批判にさらされるのは、その使い方が悪である時だ。例えば、原子爆弾が悪であるとしてもそれは、技術の使い方を誤ったためであり、その根底にある原子物理学やそれを利用した原子力テクノロジー自体に悪意はないのだ。科学技術と人間社会とはそれぞれ独立させて二項対立的に考察することが多いが、結局のところ、科学技術の使いかたを決定する倫理的な問題はこの二つの境界にあり社会の構成要因一人一人が関わるべき問題なのである。

4.理工系大学生による科学史教育
 近年の子供は理科離れといわれている現状は憂慮すべき事態である。しかし、科学の楽しさや面白さだけを利用して呼び込みを行うことは、科学技術に対する評価の向上あるいは、科学技術の盲信にはつながるかもしれないが、真の科学技術を伝えることはできない。原発の安全神話は科学技術の盲信の典型例である。原子力発電のリスクを共有していなかったことが、今回の原発事故において、安全神話の崩壊などといわれ、科学技術全体に対する不信感に繋がったのだ。つまり、科学技術の不完全性を伝えずに科学技術を振興することは目先の科学技術に対する理解を得ることはできても、結局は科学技術の発展に対してマイナスになるということだ。したがって、科学技術史というかたちで人類の試行錯誤すなわち、科学技術の発展の歴史も失敗の歴史も伝えることが、真の科学技術振興なのである。
 しかし、科学技術史を小中学校で教えるには課題がある。それは、科学技術に精通した人材と授業時間の確保である。ゆとり教育による授業時間の縮小と学力低下に対する懸念から、新たな科目として科学技術史を導入するのは、現実的ではないだろう。
 ところが、近年、小中学校において土曜日授業の復活が検討されている。その土曜日授業を何に利用するかは具体的には決まっていないようである。すなわち、科学技術史やそのなかで出てくる倫理的な問題についての授業をこの土曜日授業において行うことができれば、授業時間の確保に関する問題はひとまず解決するだろう。
 また、土曜日に実施すれば、人材の確保についての問題も解決するのだ。なぜなら、土曜日であれば、理工系の大学生を先生として活用することができるからだ。

5.大学生側の利点
 大学生を先生役にすることのメリットは小中学生に対する科学技術の振興ということだけではない。理工系学生のコミュニケーション能力の増強である。
 社会全体の科学技術離れがすすんでいるといわれるが、理工系の専門家や学生が科学技術振興にあまり積極的でないというのもまた事実である。近年の科学技術の歴史をふりかえると、科学技術者は自らが生み出す科学技術の社会的影響を認識することが必要であるということがわかる。しかし、震災後の原発事故に対する専門家らの説明は専門用語が多く難解であった。また、理工系の学生にとって大学で学ぶ知識を社会に還元する機会はあまりない。こういった現状が科学技術を社会から孤立したものにしている。
 大学生は、土曜日授業の実践により、大学内では学ぶことができない科学に詳しく無い人にうまく科学技術を説明するという能力を身につけることができるのだ。この能力は、まさしく今の多くの専門家たちに欠けていて、コミュニケーション能力が不足しているといわれる現在の大学生が早急に身につけるべき能力なのである。

6.まとめ
 近代使われる科学技術とは何かを再検討し、科学技術の情緒的な理解のためには今日のような細分化が行われる以前からの科学史を振り返ることが重要であることを述べた。科学技術の包括的な理解はこれからの科学技術の倫理的難問に取り組むうえで不可欠なものであろう。
 日本は科学技術先進国といわれているが、その理由は、高い科学技術力だけではなく、銃の所持の禁止や核兵器撤廃などに代表される高い倫理性であると私は考える。これからも、科学技術に対する高い倫理性で世界をリードしていくべきだろう。

【参考文献】

「科学論入門」、佐々木 力(著)1996年8月21日、岩波新書、p19