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2010年(第12回)

【入賞】
道具と技術の利用
工学院大学大学院 工学研究科 機械工学専攻修士 1年
沖泙 陽世
 

〈1〉はじめに
 今回の科学技術論文の投稿にあたって科学技術とはなんだろうかという問いに私は直面した。そもそも技術のはじまりはいつだろうか。技術は日々進歩するし、善し悪しにかかわらず人類の生活に大きな影響を与えたことは間違いない。技術は使い方次第で、悪い方向にも良い方向にも転がるが、誰一人として悪い使い方を望んではいない。技術は人類の生活基盤を良いものにするために生まれたのであろう。
 「人」つまり人類は学名で「ホモ・サピエンス」と呼ばれる。ラテン語で「知恵のある人」という意味だ。人類の祖先は石を打ち砕き作ったナイフによって、木を削り、時には獲物をとらえ生活してきた。人類は「知恵」を振り絞り、道具を作り豊かな生活を手に入れた。技術は道具と密接な関係にあると私は思い始めた。
 人類が道具を使う効果について考えたい。刃物で手を切れば血が出る。当り前のことだが、物理の色メガネを通すことでいろいろなことがわかる。刃物で何か物を切るという行為には、接触面積が小さく大きな圧力を生みだすという原理がある。つまり単位面積当たりの力が材料許容値を超えた時、物は切断される。当り前の物理現象であるが、このことを考えて刃物を使用する者は少ない。単純明快な現象として目に留める人は少ないが、このシンプルな物理現象なくして人類の発展はなかった。
 私は日頃、身の回りの現象を観察する癖をつけている。時に、シンプルな物理現象は大きな技術として発展していくと信じているからだ。

〈2〉霊長類と人類の道具利用について
 道具と技術について触れてきたが、道具の利用は人類だけではない。チンパンジー、ゴリラなど様々な霊長類には道具の利用がみられる。チンパンジーはアリ塚のアリを捕らえるため、道具を利用する。しかも、アリの穴に適した径の棒を使用する。それだけではなく、アリがつかみやすい硬さを持ち、穴に入れやすい柔軟で強靭な棒を手と歯を利用し作成するという。これほど高度な道具の利用が見られるが人類の発展と比べれば大きな差がある。霊長類と人類の差はなんであろうか。
 チンパンジーやゴリラは敵対する群れとの争いに道具を使用することはない。噛みつきあい、殴りあう程度だ。これは道具使用時に起こる効果を予測できないからだと言われている。つまり、棒を持って振りかざすことで生じる武器としての効力を予測できないということだ。それは、生活基盤での道具使用が武器として使用されるよりむしろ食物の獲得に重点を置いているからであると言われている。では人類と霊長類との差は何だろうか。これは道具の二次制作であると言われている。道具の二次制作とは道具によって道具を生み出す行為のことである。チンパンジーの様な霊長類にはこの道具の二次制作が見られない。これは、チンパンジーのような霊長類が道具使用の効力を予測できないことが原因だろう。技術は道具の進化によって新たなる道具が生まれてきたからこそ発展してきた。道具の発展は新たな技術を自己連鎖の様に生みだす。人類と霊長類の差はここにある。つまり、道具の効力予測とその原理の理解なくして技術の発展はない。技術とは人類としての証しでもある。

〈3〉自作ナイフから見る道具利用
 これまで道具と技術について触れてきたが、そもそもその原理に注目する好奇心や興味がなければ、ただ道具を使う霊長類と同等である。どうすれば好奇心や興味を培うことができるだろうか。私は日本の技術の将来を考える上で学校教育の重要性は大きなものだと思う。私自身の経験として、学校教育では圧倒的に実体験する経験が少ないと考えている。高等学校教育では大学に入学を目標にするため、試験で高得点を取ることのできるような詰め込み教育が主流だ。大学では知識の蓄積が先行し、以前教えられた知識は希薄ものとなる。与えられるだけの知識には感動する発見が少ない。そこで私は実体験を盛り込んだ教育スタイルを提案したい。
 実際に自分で考えた物を作ってみる。実際にものをつくると推測していたこととは違った結果がでる。小さな要因でも別の小さな現象に影響して結果として大きな変化をもたらす。そこで大切なのが今まで学んだ知識だ。これまでに学んだ知識を用いて結果を考察する。これはこれまで蓄積した知識の道筋をなぞり必要な情報を取り出す訓練になる。それだけでなく、ゼロベースで物事を考える楽しみやアイデアを発想する訓練になり、足りない知識は自ら補う意欲が湧く。
 私自身の経験だがナイフを自作する行為は大変に勉強になった。私は使用できなくなったヤスリを利用しナイフを作る事を考えた。まず、ヤスリを一定の厚みを作るためにヤスリを熱して叩き鍛える。その後ナイフ形状に成形し、刃部に適度な勾配をつけていく。制作の過程で様々なことに気が付く。例えば、ナイフを研磨する際に出た摩耗粉がナイフに吸着した。これは焼入れによる作用によって原子が地球の磁力方向に沿って揃うためである。必要な材料、金属加工に必要な温度を確保するために空気流動を意識した窯の作成や波文が発生する原理を理解し実際に作るという行動を起こしてみる。実際に物を作ると不測の事態や思わぬ発見が体験できる。このように実体験することで自主的に学習する範囲が広がり、また自ら体験し学習した内容は忘れることがないだろうと思う。この体験はとても勉強になった。

<4>終わりに
 人類の発展は現象を理解し、利用してきたことが礎になっている。私は技術とは現象理解と利用実現であると考えている。日本の将来を考える上で、学校教育を取って言えば感動と関心を与えることだ。子供はナイフで手に力を加えれば、手が切れる事は知っている。しかし、紙で手や物を切った時、子供たちは驚く。人類はシンプルな現象に目を留め利用してきたからこそ発展した。上記で示したように、人類の道具の発展は生計活動が基盤になっている。生計活動中心の道具使用から、外敵との争いに使用する武器へと変幻するように使用する者の精神でいかようにもなる。科学技術も同じだ。科学技術によってもたらされた不幸は歴史を遡れば数多くある。しかし、その技術の始まりは発見者の感動と生活を豊かにしたいという純真な気持ちから始まったはずだ。
 それは今も昔も変わることがない。私は工学部で様々なことを学び、日々感じることが多くなった。街を歩けば、自動車が当たり前に走り、都心では高層ビルが高々と立ち並ぶ姿に、最近私は感動する。
 今後の日本を担う次の世代に、日々の日常で満ち溢れている現象やそれらを利用した製品の素晴らしさを気付かせることができれば日本の将来は明るくないだろうか。身近な物事に目を向ければ案外すぐそばに感動は転がっていると思う。

6.使用済みのヤスリを利用した自作ナイフの写真一覧

図2自作炉によるヤスリの加熱
図1 使用済みのヤスリ
図3 鍛造したヤスリ
図4 吸着した摩耗粉
図5 完成したナイフ


【参考文献】
1)

「森林がサルを生んだ 原罪の自然誌」
1992年8月12日、平凡社、引用ページ「道具と文化」より