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2010年(第12回)

【入賞】
電子書籍と理工学教育の未来
慶應義塾大学 理工学部 物理学科 2年
世良 英之
 

<はじめに>
 理工系の学生にとって学術書籍は不可欠なものである。名著と呼ばれる学術書を通して、天才と評された先人たちが残した思考の跡を辿ることでその分野の更なる理解を深めることができる。しかしこれら名著と呼ばれる学術書の中には、数多く絶版となってしまったものが存在する。近年、iPadなどの携帯型電子端末の普及が著しく、電子書籍販売の土壌が育ってきた。私は、学術書籍こそ書籍の電子化の恩恵を受けるものだと感じたため、電子書籍と学術書の可能性について、その可能性と弊害について考えてみようと思った次第である。

<電子書籍の利点とは>
 電子書籍は紙を使わず、一つの端末に多くの書籍を入れられる。分厚く重い専門書を何冊も持ち歩かずとも、端末一つだけ持っていれば自分の書籍すべてをいつでもどこでも閲覧することができる。
 友人にアンケートを取ってみたが、学術書はやはり「高い」というイメージが強いようだ。なぜ、学術書は高価なのだろうか。答えは「採算が取れないから」ということなのだ。学術書籍の出版は、確実に売れると想定した部数で、それなりの値段をつけてようやく利益を挙げている。実は著者も結構な自費負担を覚悟して学術書籍を発行している場合が多い。そのため、学術書を発行すると自分の大学の授業で教科書に指定する教員が多く、また、それだけで出版社の刊行基準は大分緩まるようだ。
 電子書籍は、本を作るための紙とインク代、保管のための倉庫費、輸送費などコストの大半を占めるハードの費用について考える必要がない。販売に必要な経費はほぼ通信費と広告費のみであり、学術書であっても採算を取る目算が付けやすく、比較的安価に設定できる。また、絶版書籍に関する興味深い取り組みがJコミという会社でなされている。この会社では、絶版漫画に広告を挿入して無料配布するという試みを行っており、実際に収益もあげられているようだ。このような方式を借用すれば、絶版した名著もデータベース化して無料公開が可能なのではないだろうか。

<電子書籍を用いた教育>
 電子書籍の教育における優位点は、大きく分けて二つ。
 一つ目は動的なイメージ、3次元のイメージを伝えられる点である。理工学で現実に対処しなくてはいけない問題は、3次元で時間変化する系だ。しかし、特に時間変化する系に対して適切なイメージを提供するのは困難であり、再現性も低いため復習も難しい。機械工学や3次元回路系などの具体的な問題の理解に、非常に役に立つだろう。しかし理学系の学生に対してこれは、直感的な理解に頼り、数式を通してのイメージ能力を損ねてしまう。したがって、(複雑系など特殊な場合を扱うときを除き)多用しない方が良い。  二つ目は、ネットワークが利用できるという点。現在、京都大学や慶応義塾大学などいくつかの大学で学術書を電子化して、ライブラリを作ろうという動きがみられている。自宅にいてもコンピュータから学内の図書館にある学術書を閲覧できるほか、貸し出し中で閲覧できないという状況に悩まされることもなくなる。
 また、ネットゼミというものをご存じだろうか。スカイプなどのテレビ電話機能を利用してゼミを行う、という試みである。私も参加したことはあるが、数式を伝えるのに苦労した覚えがある。タッチパネル式の電子書籍端末ならダウンロードした書籍に書き込みもでき、内容をネットワークで共有もできる。端末内のファイル同士で関連付けをすれば自分で作ったノートや他の書籍を瞬時に参照することも可能だ。検索機能を使えばいくつかの科目に渡って同じ手法が使われていたり、同じ特殊関数が利用されていたり、また似た問題なのに分野によって異なるアプローチで問題を解いていたりすることが分かるだろう。

<スペシャリストからジェネラリストへ>
 この、関連付けや参照、検索を使って分野を跨いで勉強をするということが非常に重要なのである。今日、研究の場では複雑化する問題に対処するため、いくつかの異なる分野をまたいだ学際的な研究が求められている。しかし一方で、教育においては学問領域を細分化した方が、理解が簡単で効率がよい。日本の大学においては、ある分野の教育はその分野を背景とした研究機関に所属している研究者が行うため、その分野に特化した教育しか受けることができない。慶應義塾大学にノーベル化学賞を受賞した利根川進先生が講演にいらっしゃったことがあったが、そこで「MITに来る日本人の学生は優秀だが、他分野や他の研究者がやっていることに対して興味を持たない学生が非常に多い」ということをおっしゃっていた。日本でも学部生のうちから他の分野に対しての興味を持つ訓練をし、また専門課程に進んでから研究対象が細分化されても、その興味をなくさないような工夫をしなくてはならない。
 事実、日本では「高学歴難民」という、大学院を修士課程、博士課程まで修了したにもかかわらず、就職ができない人の割合が非常に多いということが社会問題となっている。文部科学省の統計では、平成22年の博士課程修了者の就職率は61.9%と、修士課程修了者の就職率71.4%(進学率11.4%)に比べて低い。企業の研究所では明らかに採算が取れなかったり、あまりに多額の費用がかかったりするような研究は打ち切られることがある。その際の配置換えや研究対象を変更することを考慮するとき、特に博士課程修了者はいわゆる「専門馬鹿」「研究おたく」というレッテルを貼られて敬遠されることが多い。
 他分野のアプローチを持ち込んで研究が前進するということは良くあることだ。電子書籍を用いることで可能になる多角的な教育が、この問題を解決する一端になるのではないかと期待している。例えば、大学の学術電子書籍ライブラリに本文検索機能をつけてみたらどうだろうか。検索の結果を確かめるために、書籍の一部を閲覧しなくてはいけない。調べていた分野の思わぬ応用範囲も分かるはずだ。

<起こりうる弊害>
 電子書籍を扱う場合に限ったことではないが、コンピュータを扱うのなら情報倫理を身につけ、それを正しく適用しなくてはならない。また、近年論文発表においても似たようなことが起こっているようだが、電子書籍が一般化してくると発刊が簡単になる分これまで以上にコンテンツが溢れることになる。しかしその中には信憑性が低い、裏付けがないなどといったことが書かれているも数多く存在する。既存の有名な書籍や、著者などで信頼できる自分の知りたい情報が含まれているかを判断しなくてはならない。

<終わりに>
 日本は、欧州以外でほぼ唯一「母国語で理工学を学べる国」という話を聞いたことがある。日本語を母語とする学生は、日本語的な感覚のままに理工学を学べるのだ。18世紀の教育学者デューイ、詩人サミュエル・ジョンソンの言葉を引用する。
 「文化は言語の条件であり、同時にその産物である」「言語は思想の衣装である」
 このように、言語とは文化であり、思想であり、思考の方式であるというのが私の持論だ。国際的な研究の場での共通語は英語である。しかしそれだからこそ、思考の基盤をつくる学部生のうちは欧米諸国ではなく日本を基盤とする視点でしっかりと勉強がしたいと私は思う。電子書籍の普及がそれの手助けになると信じている。

【参考資料】
1.

「学術書刊行への道:インターネットを利用して」(1)~(6)
杉田米行(大阪外国語大学アメリカ講座教員)
http://www.ne.jp/asahi/coffee/house/ARG/compass-022.html

2. 学術書刊行の仕方について(ひつじ書房HP)
http://www.hituzi.co.jp/hituzi-ml/index.html
3. Jコミ コンセプト
http://www.j-comi.jp/concept/concept.html
4. 平成22年度学校基本調査(文部科学省HPより)
http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/chousa01/kihon/kekka/k_detail/__icsFiles/afieldfile/2010/
12/21/1300352_2.pdf