過去の入賞論文
・2016年(第17回)
・2015年(第16回)
・2014年(第15回)
・2013年(第14回)
・2012年(第13回)
・2010年(第12回)
・2009年(第11回)
・2008年(第10回)
・2006年(第8回)
・2005年(第7回)
・2004年(第6回)
・2003年(第5回)
・2002年(第4回)
・2001年(第3回)
・2000年(第2回)
・1999年(第1回)






























































































2010年(第12回)

【入賞】
科学の魅力を伝えるにあたり伝統的な生物学が果たす役割
東京大学 理学部 生物学科人類学コース
齊藤 真理恵
 

国際的にみた日本の科学技術力の概観
 日本の科学技術は高い水準を保っている、とは多くの日本国民が漫然と持つ共通認識であろうがその実態はどうなのだろう。私の専門は生物学であるため、以下では特にライフサイエンス分野に的を絞って議論することにする。科学技術振興機構の研究開発戦略センターが発表した「ライフサイエンス分野科学技術・研究開発の国際比較2010」をひも解いてみよう。すると、日本は、基礎研究では欧米に並ぶトップレベルの水準を誇っているが、研究を目的とした国際的な大学協定への参加姿勢が欧米に比べ消極的だ、とある。また、応用/産業化については、日本は自国の高い研究水準を生かし切れていない。産業化に必要なのは技術力だけではなく、社会的システムの整備、産学間の橋渡しとなる人材の育成といった基盤整備が不可欠だが、こうしたシステム構築が日本では立ち遅れているためだ。ほぼ全ての分野でトップに立つ米国は産学間の人材の流動が活発であり、圧倒的な予算と世界中からの人材を投入することで、高い研究水準、産業技術力と国際競争力を維持している。
 こうしてみると、国際的な研究団体を作り、大規模に資金や人材を投入していくことで科学技術の進歩が加速していくようにも感じられる。しかし、研究と産業化の規模がボーダーレスに巨大化する中で、見落とされていくものはないのだろうか。生命科学とは、基礎研究から創薬という目標に向けて、一方向の巨大な流れに沿って発展していくばかりなのだろうか。

伝統的な生物学の魅力と現状
 先の「ライフサイエンス分野科学技術・研究開発の国際比較2010」においては、世界中のどの研究室でもほぼ均質とされている細胞系やモデル動物、あるいはデータベースを用いて、実験室内のみで行われる研究分野が大多数を占めている。だが、生物学の研究はそれだけではない。研究室を出て、実際に生物が生息する、或いは生物の痕跡の残るフィールドに立ってみて初めて分かることも多い。
 ここで、日本が長い伝統を誇り、フィールドワークが不可欠でもある二つの生物学を挙げてみよう。一つは国際生物多様性年でもあった昨年、2010年に、名古屋で開催されたCOP10(生物多様性条約第10回締約国会議)をはじめとする様々なイベントによって注目を浴びた分類学。もう一つは私の専門であり、ヒトを生物集団としてとらえ、その進化や生態、多様性について論じ実証する自然人類学だ。
 分類学は、伝統的には主に対象となる生物種の形態観察を元にして、その情報を記録し整理していくものである。現在では形態情報に加えDNAによる情報も用いられ、生物資源の有効利用と生物多様性の保全のため、生物のDNAや形態の情報の蓄積をはじめとするデータベース作成が急務とされている(参考文献1)が、日本は人材不足から大きく後れを取っている。日本は温帯に位置し、高山のある南北に長い島国であるため植生が幅広く、“固有生物種に溢れており、かつその多様性が破壊の危機に瀕している『生物多様性のホットスポット』”とされているにもかかわらず、である。
 自然人類学は、生物種としてのヒトを研究対象とする生物学の一分野である。伝統的な日本の人類学では、生体や古人骨の形態を観察、計測することで、日本人の起源を探ったり集団間の類似性を比較したりしてきた。現在ではこれに加え、やはりDNAを用いて、世界的なヒトの多様性、進化の歩みの研究がなされるようになり、古人骨の成分を理化学的に分析することで当時の食物の推測もできるようになった。また、日本人は一見単一民族に見えながらもヨーロッパ人に比べその遺伝的多様性が大きく、中国大陸や東南アジア、シベリアなどからの移民の子孫で構成されていることが示唆されている。このような日本人の遺伝的多様性の追究は、個人の遺伝子の差異に合わせた疾患治療を目指すオーダーメード医療にも不可欠だ。だが、自然人類学の次世代を担う日本の若手研究者の減少も深刻化している。
 分類学や自然人類学はその歴史の長さゆえ、過去の研究者が収集した膨大な試料や観察データが全国の大学や博物館に蓄積されているが、人材不足からそれらが十分に生かされていない。しかし、生物多様性や人類進化は実験室内のみで研究される分野に比べ、日頃忘れがちな自然と人間との関わりや、人類の誕生と変遷、他の動物と比較したときのヒト固有の特徴について思いを馳せる機会を与え、またそれ故に誰もが興味を持ちやすい分野だ。一般の人が自然科学に親しむ糸口という意味でも、これらの学問の衰退は、業界内だけの問題でなく社会的な損失にもなりうると言える。
 では、なぜこのような事態になったのだろう。一つには、研究者側から一般の人に対し、研究内容や現場の状況を伝える広報活動が不適切だった、或いは不十分だったのではないだろうか。現に私は大学二年の際の進路選択まで、「自然人類学」という学問領域が存在することさえ知らなかった。いや、人類進化の研究がどこかでなされている事は朧げに認識していたが、何という名の学問で、どこで行われているか、またその具体的な内容について何も知らなかったのだ。

研究者とそうでない人を繋ぐために
 現在の生命科学の先鋭化、細分化は著しく、専門外の人にとって容易に理解できなくなってしまった。だが、科学技術を社会に導入するか否かの判断や、科学研究や教育に充てられる国費予算の配分は、専門家だけでなく、主権者である全ての国民に委ねられている。
 今日の生命科学技術の多くは、従来予想もされていなかった状況をもたらし、それらを社会へ導入するには新規な倫理指針が不可欠となる。例えば、特定の病気に対する罹患可能性の遺伝子診断においては、個人情報としての遺伝情報の扱いが課題になる。そのような際に個々の国民が多角的な視点から批判、判断するためには、専門家や研究者とは異なる価値観を持つ一般の人が科学研究の内容を正しく理解することが、以前にも増して求められる。
 そこで、研究者から一般の人へのアウトリーチ活動が重要になる。従来のアウトリーチ活動では概ね、「教育」という観点が重視され、スーパーサイエンスハイスクール指定校で出張授業を行ったり、学会発表に高校生団体枠を設けて発表を推奨したりすることで、とりわけ意欲的な中高生に対して重点を置きがちだった。蓋し、私は一般の成人に対してのアウトリーチがより一層重要で、有意義だと考える。というのも、成人は主権者である日本国民の大多数を構成し、ほぼ全員が中等教育を修了しており、基礎的な理科の論理と知識を学習した経験があるからだ。私はそうした一般の人々に、科学に対して短絡的な利益や有用性を求めるよりも、もっと根源的に多くの研究者を突き動かす力となっている「科学を楽しむこと」を知ってほしい、或いは思い出してほしいと強く願っている。さすれば、やがてそうした人たちの子供や生徒にも科学の魅力が伝えられるだろう。技術であれ、アウトリーチであれ、何らかの形で成果を還元することは研究者に課せられた社会に対する責務でもある。
 東京大学理学部生物学科では授業の一環「先史人類学実習」において、国立科学博物館人類部の展示ガイドマップ作製及びガイドツアーを実施しており、私も来月それに参加する。人類学の強みは、文化をもつ生物としてのヒトそのものの特性や進化を研究対象とするために興味を持つ人が多く、また、誰もが身近なテーマとして思考を深めていける点である。従って、こうした伝統的な生物学は、日頃科学に接する機会の少ない人が科学の研究や論理に親しむ契機となりうる。今回、博物館を訪れる科学愛好家や研究者だけでなく、人類学についてよく知らない一般の人にどれだけその魅力を伝えられるか、そして自然科学の面白さを伝えられるか、思考錯誤を重ねつつ私なりに最善を尽くしたい。

【参考文献】
【雑誌】

1)昆蟲ニューシリーズ 13(2) 2010年6月25日発行 日本昆虫学会 48-57,69-77

【書籍】 2)ヒトゲノム 榊佳之著 2001年5月18日発行 岩波書店
3)科学の考え方・学び方 池内了著 2001年1月25日発行 岩波書店
【webサイト】 4)ライフサイエンス分野科学技術・研究開発の国際比較2010
 http://crds.jst.go.jp/output/pdf/09ic08.pdf