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【入賞】
科学と音楽、どちらが人を幸せにするか?
埼玉大学大学院 理工学研究科 生命科学系専攻 博士前期課程 2年
大砂 まるみ

はじめに
 副題である「科学と音楽、どちらが人を幸せにするか?」を見て、多くの人がどっちだろうと考えてくれたり、そもそも比べられるものじゃない等、何かしら思っていただけたでしょう。残念ながら私はこの文章の中で、この問いかけに白黒つけません。この副題には、科学が思うほど遠い存在でないことを多くの人に感じてもらいたいという狙いがあります。そのため身近なものの一つである音楽と科学を比較しようと思いました。そしてそれを踏まえた上で、主題にある「科学技術と日本の将来」の将来部分を大きく担う子供や子供の環境を作る大人に向けた私なりの考えを述べたいと思います。

1.科学と音楽の重要性
1−1.科学と音楽は必要か。
  まず、根本的な問題について。科学と音楽は必要でしょうか。突き詰めて考えると、どちらも絶対なくては生きられないものではないと思います。音楽がなくても生きることができるのは想像できるでしょう。科学においても、電車やコンピューターなどなくては困るものはたくさん挙げられます。しかし、“なくては困るもの”です。“なくては生きられないもの”ではありません。昔から、お金持ちが贅沢として科学を始めたといわれています。私は、科学も音楽も人生をより良くさせるもの、言い換えれば、幸せを生むものだと考えています。音楽が人の心を癒したり、気分を高めたりすることで、精神的な面から人を幸せにするのに対し、科学は医療で怪我が治ったり、機械が様々なことを便利にしたりして物理的な面から人を幸せにしています。
1−2.人を助けるもの
 2010年1月12日、中央アメリカにあるハイチ共和国で大地震が発生しました。この地震で多くの建物が崩れ、多くの方々が亡くなり、今でも多くの生存した方々が現地で避難生活を送っています。ハイチのニュースを見たときに印象的だったことは、ハイチを救うために派遣された医師団のニュースと共に、ハイチ出身の国民的アーティストが被災地を訪れてライブをおこない、被災地の方々が楽しそうに踊って歌っている映像を見たときのことです。このとき、科学も音楽も人を助けることができるんだと思いました。医師団が怪我した人を助け、アーティストの音楽が暗かったハイチの人たちの心を明るくしていたのです。
1−3.科学と音楽は似ている
 科学と音楽が人を助け、幸せにするということをご理解いただけたら、両者の共通点が少し見えてくる気がします。科学に携わる私からいえば、奇抜なスタイルを変えずロックを続けた忌野清志郎は一つの研究を生涯かけて続ける研究者と似ています。流行に敏感となり、時代に合ったもしくは先を見た研究をすることはポップスそのものです。ポップス研究のいい例は、数年前に注目を集めた様々な細胞を生み出す幹細胞に関する研究です。幹細胞研究は再生医療につながるとして盛んに進められましたが、幹細胞の代表であるES細胞(胚性幹細胞)は受精卵の発生した胚から得られる細胞なので、そのまま発生すれば生まれてくる命の卵を壊すという観点から、使用することに倫理問題を抱えていました。その問題に目をつけ、大きな仕事をしたのが京都大学山中伸弥教授です。彼は、いろいろな細胞になれる細胞を胚から取ってくるのではなく、もうすでに私たちの持つ皮膚の細胞から作り出したのです。まさに先を見て、日本だけでなく世界に流行を発信したポップス研究となりました。


2.科学の将来を担うのは子供
2−1.子供が身近に感じるのは科学より音楽
 科学と音楽の重要性から、両者が人を幸せにし、多くの共通点を持つことを述べました。これらのことから、科学も普段身近に感じている音楽と同じくらい身近であることに気がついていただきたいのが私の狙いです。しかしながら、このことに気がつくのは多くの人が大人になってからであるように思われます。医療面から言えば、大人になるに連れて自分や近い人の健康について考えるようになります。このことは、健康という身近なことから医療という科学に関心を持ついい例です。一方で、子供は若いので健康に気を使わなくても大丈夫、もしくは周りの大人が気を使ってくれます。私が中学生のころに興味があったことは、やはり科学(勉強)より音楽でした。理科は好きでしたが、不思議なことに子供のころに勉強が好きと公言することはタブーであった記憶があります。ガリ勉やまじめと思われるよりも、音楽の話をして自分の好きなアーティストをアピールするほうが子供の世界では好まれていました。今まで述べてきたことを考えると、科学は音楽と同じくらい重要で似ているものなのに、子供の世界ではそれを素晴らしいと話せる環境が整っていないのが現状です。それは、音楽が科学よりもかっこよく、科学が音楽よりも難しいからでしょうか。ロボットの操縦にあこがれる子供に科学のかっこよさがわからない訳ありません。音楽も構成を考えたり、歌詞を読み解いたり、演奏しようと思ったら楽譜を読んだり、難しいことがたくさんあります。一方で、科学に重要な実験はとても料理と似ていて、材料をそろえ、プロトコールというレシピ通りにやるものです。言い換えれば、一家に一人はいる主婦でも出来ます。問題は、科学を”簡単で身近なもの”と大人や科学者が伝えられていないところにあります。よくわからなくて難しそうな科学に関する話を子供が好んですることはないでしょう。このことは、”子供が科学に興味を持つ”という大事な科学の将来の芽を摘んでしまっていることになります。

2−2.浅く広い教育vs深く狭い教育
 音楽はテレビやラジオ、街中の店など様々なところで触れることが出来ます。科学に関しては、やはり最初は学校での教育で触れるものでしょう。教育という現場で、子供は深く科学に触れられているのでしょうか。日本の教育制度では多くの科目を広く浅くおこなっています。自分が専門的な勉強をするまでは、多くのことを勉強し、多くのことをわかった気でいましたが、実際一つの科目を専攻して勉強すると、なんて浅いことをやっていたのだろうと感じます。そして、深く専門分野を知ることでその興味がどんどん大きくなりました。何かに大きな興味を持つということには、ある程度の深みが必要なのかもしれません。深く狭い教育の例として、ドイツの教育制度を挙げたいと思います。ドイツでは日本と同じように6歳から小学校に入ります。しかしながらその期間は4年間で、その後の進路は大学まで勉強するギムナジウム、終了後に職業訓練を受ける基幹学校、終了後に上級専門学校に進学する実科学校に分かれます。そのうち約3割がギムナジウムに進学し、その他の子供は10歳にして専門的な職業に就くことを決めます。私は英語を学ぶため語学学校に通っていたころ、この制度で大工を選択したドイツ人の男の子と話す機会がありました。彼は、私よりも年下であるのにもかかわらず、自分の専門に技術と誇りを持ち合わせていました。私の勉強している専門の話をしても、始めはわからなくても興味を持って話を聞いていました。おそらく一つのことに集中しているおかげで、彼は他のことにも耳を傾ける余裕があったのでしょう。この制度で教育を受けた彼と話した後に、私は日本の浅く広い教育が絶対ではないということを知りました。

最後に

 主題である「科学技術と日本の将来」について考える際に、欠かせないのはやはり子供だと思います。将来彼らが、教室で話す話題が今週のヒットチャートと今年のノーベル賞になったら、科学を音楽くらい身近に感じられていると言って良いでしょう。その後に子供が科学を選択するかどうかはその子次第です。科学を選択した子供が、科学について深く知り、興味を広げることの出来る環境を作ることも科学に携わる私たちの役目であると感じます。

【参考文献】

ドイツにおける特別な教育的ニーズを有する子どもの指導に関する調査
http://www.nise.go.jp/kenshuka/josa/kankobutsu/pub_f/F-101/chapter03/chapter03_d01.html