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2009年(第11回)

【入賞】
「土木と理科離れ」
東海大学 工学部 土木工学科 2年
小宮 庸子

 今の生活は漫画のような便利な道具が使えるわけではないけれど、生活していく中で50年前と比べたらきっと格段に暮らしやすくなっています。生活を変えたのは人と技術です。この50年で確実に技術は進歩しました。しかし、理科離れという言葉があります。この言葉は単に理科や数学から離れているという意味だけではありません。これは技術から離れていくことにもつながってくると思います。今の日本を造ったのは技術と言っても 過言ではないのに、それを繋げていく人が減っているのはただの理科離れ技術離れでは済むことではありません。なぜ技術から多くの人が離れてしまったのでしょうか。今私は大学で土木工学を専攻しています。きっと土木工学と聞いてあまりいいイメージをもたれないと思います。しかし、そのイメージの元が今日の理科離れ・技術離れに繋がっていると私は思います。

  自然を壊す、危険が多い、お金がかかる。談合など権力との関係などを思い浮かべると思います。メディアなどでよく耳にするような土木工学のイメージはこのようなものが多いと思います。確かに多額のお金はかかります。重機を使用したり、危険な作業もあるのでオフィスワークよりも危険も多くなります。けれども今のような生活をしていく上ではなくてはならないものなのです。蛇口を捻れば水が出る。家から学校に通うのに道を歩き、電車に乗る。遠くに行く際は新幹線や飛行機を使用する。水が出ることも、新幹線で移動することも生活していく中でどうすれば今よりも時間をかけずにできるか。一般的な意味として物事を巧みに行なうわざや、科学を実地に応用して自然の事物を改変・加工し、人間生活に役立てるわざのみではなく、技術とはいかに「短時間で」目的を達成することを突き詰めていったものだと思います。生活をする中で多くの技術と私たちは知らぬ間に触れ合っています。例えば土木工学では、川を渡る橋、物を早く運ぶための高速道路、鉄道や水道設備などがあげられます。

 いつも歩いている道が隅々工事をしていた。など誰もが一度は遭遇したことのある状況だと思います。だけども何の工事をしているか興味をもつ人はあまりいないのではないかと私は思います。例えば道路の舗装の工事をしていたり、道幅を広くする工事をしていたり、はたまた地中に埋まっている上下水道管を工事していたりします。新しく建造物を造 る工事と既存のものを修繕する工事に二種類に分けます。この二つだけでもイメージはかなり違うように思います。新しく構造物を造る際、とりわけ高速道路や空港、橋など大きく交通に関連する構造物を造る時は比較的ポジティブなイメージをもって工事が進んでい るように思います。しかし既存のものを造り直したり、修繕したりする工事はマイナスに 感じるかもしれません。「まだ使えるのにもったいない」と思うからかもしれません。

 しかし、お気に入りの靴が履いていくうちに傷んでくるように一度造った構造物も傷みます。それは人や物が通ったことによる摩耗や雨や風により侵食、経年劣化などもあげられます。改善するためには新しく造り直す方法もありますが、長く使用するためにはきちっとした管理と補修が必要です。2007年にアメリカのミネソタ州でたくさんの車が走っていた高速道路が崩れた事故がありました。建設から40年経っていた橋ですが、日本 の橋はどうなのでしょうか。生活の変化に応じて今までたくさんの橋が建設されてきました。その中で特に多くの橋が建設された時期があります。40年ほど前の高度経済成長期です。今15メートル以上の橋だけで14万本あります。建設されて50年が経つ橋は10年以内に28000本20年経つと66000本に増えることはもうわかっていることです。これらの橋の補修や架け替えには莫大なお金が必要になります。

  人々の安全や生活を守るためにはたくさんの技術が必要となります。私たちは今多くの技術に囲まれて生活をしています。しかし今技術の基になる理科離れという言葉があります。今理科離れが進んでしまっている原因は多くの専門家がいろいろな見解を出していますが、私は理科の持っている手間もその原因だと私は思います。たしかに自然が減り外で遊ぶよりも家の中でゲームなどをする時間が増えたことも原因かもしれません。しかし理科は講義聞き予測を行い実験し考察がある。この段階を踏んでいく一種の手間や答えにすぐに到着しないまどろっこしさが理科離れに拍車をかけている気がします。自分が見たこともないものでしたら驚きや興味、恐怖などいろいろな感情が生まれると思います。しかし、普段おこなっているゲームの世界では当たり前ならそれが初めて現実に目の前で起こったとしても心の振れ幅は小さくなってしまうと考えらます。また、理科系科目の持っている段階的な作業・手間を敬遠したり、苦手意識から避けていくことがやがて理科離れに繋がっているのでしょう。

 戦後日本は技術で進歩しまた技術で世界と戦ってきました。しかしその技術をつなぐものが減っています。町工場も工場もだいぶ年齢が高い人が多いように思います。人工の減少もありますが、サービス業種の割合の拡大などから生産業・製造業の割合は減っています。またサービス業種は人が集まるところでおこなわれますので整備されて住みやすさを求めた土地で法律などでも守られた環境でいるように見えます。一方製造業や建設業の服装は動きやすい作業服を着たり、油や土で汚れることもあります。「よりよい社会へ」の言葉とともにここまで変わった生活が、最近ではよりスタイリッシュな生活・ファッション・行動を無意識のうちに耳にすることでそうでないものに対しては目を向けないようにしていると感じられてなりません。そのような流れが今日の理科離れにも繋がっているのではないでしょうか。
 よく土木の仕事にどのようなイメージを持つか耳にするのは3Kと言われるそうです。それは「危険・汚い・きつい」だそうです。スタイリッシュとは無縁の言葉です。しかしこのようなイメージを持たれる土木工事でもスタイリッシュに感じてもらえることもあるそうです。日本や地域のために新しい事業をおこなう際は期待と称賛の声が送られるように思います。最近のものでしたら羽田空港のD滑走路などはそうではないかと思います。

  きっとここには日本の人々のスタイリッシュさのみを求めるだけではなく、未来へ発展していきたいという強い思いがあるからではないでしょうか。この思いを繋げていくためにも本格的に理科に触れる頃に生の技術に触れる機会を今よりも多く設けることができれば今の理科嫌いの流れも変わるのではないでしょうか。きっとゲームやテレビだけでは得られない大きな体験となるでしょう。そのなかで、まだまだこれから発展していこうと思いを自ら体験することによって様々な技術に触れたいという思いに繋がれば、日本の町工場もかつてのような活気を取り戻すかもしれないと思います。