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2009年(第11回)

【入賞】
カメラブームから見る科学の可能性
明治大学情報コミュニケーション学部 情報コミュニケーション学科2年
大薗 愛子

 最近世の中ではカメラブームというものが起こっているらしい。若者を中心に、デジタル一眼レフカメラやコンパクトカメラを持ち歩き、様々な場面でシャッターを切る人々の姿が街中でよく見られるようになった。このカメラブームの背景には、カメラという科学技術の努力の結晶に関する歴史がある。

 そもそもカメラの起源は紀元前に「カメラ・オブスキュラ」と呼ばれた、四角い部屋の壁に穴が開いただけの暗い部屋であった。カメラには「部屋」、オブスキュラには「暗い」という意味があり、まさに文字通り「暗い部屋」が今日のカメラの原型であったと言える。この暗い部屋の壁にひとつ小さな穴を開け、この穴から差し込む光が反対側の壁に届く事によって外の景色がそこに映るが、このカメラ・オブスキュラはそこに映る外の景色は逆さまに映るということを発見した記録である。それは時代が進むにつれ壁に開ける小穴のかわりにレンズを用いて、より小さく持ち運べるサイズの箱へと進化した。そして1826年、フランスのニセフォール・ニエプスが8時間かけて1枚の写真を撮ることに成功した。1839年、フランスのダゲールがダゲレオタイプ(銀板写真)について発表した「ジルー・ダゲレオタイプ・カメラ」が世界で初めて発売されたカメラである。日本に写真が伝わったのは、江戸時代の1848年(嘉永元年)とされている。やがて写真術を学んだ人々が各地で写場(現在の写真館)を開き、肖像写真などが写されるようになった。この時代のカメラは木で作られていたため、輸入されたカメラを手本として指物師と呼ばれる職人が作ったボディ(カメラ本体)に輸入品のレンズを組み合わせて、日本でもカメラが作られはじめた。そして1903年(明治36年)に小西本店(現在のコニカミノルタ)から、「チェリー手提暗函)」というカメラが日本で最初にアマチュア向けに発売された。再び世界では19世紀末までに記録媒体としての写真フィルムが普及し、それによってコンパクトで手軽に写真が撮れるカメラが大衆化した。さらに1970年代以降は日本製のカメラが世界市場を牽引するようになった。さらに1977年にはオートフォーカス機構が実用化され、構図を決めてシャッターを押すだけで写真が撮れるカメラというものが広く普及した。また1995年あたりから、撮影した画像を従来の銀塩フィルムによる化学反応ではなく、デジタルデータとして記憶素子に記録するデジタルカメラが市場に登場するようになった。その後デジタルカメラは徐々に勢力を伸ばし、カメラメーカーやフィルムメーカーの事業縮小が起こっている。近年ではより薄く、より軽く、より大きな画素数や優れた性能やデザイン性を持つデジタルカメラの開発、生産も各メーカーによって著しいものとなっており、誰でも気軽に写真を楽しめる時代である。こうしたカメラ技術の目ざましい発達によって、今日のカメラブームは生まれたのである。

 では実際に私たち人間の日常生活において、カメラはどういった意図のもと使われているのだろうか。
ひとつは、娯楽としてのカメラ。写真を撮ることや自分好みの写真をデザインすることに楽しみを感じる人も多い。今日のカメラブームを支えるのはこの層の存在が多いのだろう。
またひとつには、思い出の保存、記録としてのカメラである。例えば子供の運動会や入学式、卒業式など様々な節目や行事を映像としてビデオカメラで記録しておくことで、その成長をいつまでも忘れない、消えないようにするといった使い方もある。
いわゆるビデオレターと呼ばれるメッセージビデオなどもこれに分類される。なかなか会う機会がない知人や遠くに住む家族や友人などとのコンタクトは、電話やメールなどを用いた非対面コミュニケーションに偏りがちである。そこでビデオカメラという媒体を介して、顔と顔を見てメッセージを伝えるというコミュニケーションの方法もある。
そしてもうひとつ忘れてはならないのが、大きな社会的役割を果たすという意思のもと用いられるカメラの存在である。監視カメラや防犯カメラなどと呼ばれるものがこれにあたる。商店街やデパート、コンビニエンスストアなどから始まり、駅や公共施設など今や監視カメラは至るところに設置されている。このねらいは何らかの事件が起きた際に、その犯行現場や犯人がカメラに映りこんでいればその映像がそのまま証拠になったり、犯人を追う手がかりになるということにあるのだろう。また、カメラがあるというだけで犯罪の抑制効果も高まると考えられている。そのような意思のもと、監視カメラは日夜使用されている。

 しかし、ここには多くの問題点も指摘されている。まず監視カメラが設置されている場所の利用者、つまり監視カメラの記録映像に写り込む人々のプライバシーは存在しているのかという点。また、現在世の中に設置されている監視カメラには本当に全てに意味があるのかという点である。たとえば最近では、JR東日本が年々増える痴漢の被害やその苦情への対策として、電車内に監視カメラを置くことを検討しているというニュースがあった。しかしここにも疑問視されるべき多くの点がある。天井につけたカメラで痴漢の犯行現場は写せるのか。監視カメラの映像さえあれば、それが限りなく黒に近いグレーではない、「絶対的証拠」となるのか。混雑時には決定的瞬間など写すのは不可能ではないのか、などという点だ。このように、とくに社会的役割を期待される存在としてのカメラには多くの問題点もある。

 しかし、上にあげた多くの問題点を解決し得るのもまた、カメラという科学技術の力であると私は考える。カメラ技術がさらなる発展をとげることができれば、解決しうる問題が多くあるのではないだろうか。たとえば従来のカメラの解析度をさらに高めてより鮮やかで精密な映像を記録できるようになれば、JR東日本の痴漢対策としての監視カメラの有効性は格段に高まる。また思い出の記録保存に関しても、映像や音だけでなくその当時の感触や香りなどを残すことができるようになれば、その思い出に関する記憶はより鮮明になり、利用者である私たちの満足度も非常に高くなる。つまり、たとえカメラという科学技術自身が生んだ弊害であっても、同じ科学技術の力を用いてそれを解決し、日本の将来をさらに明るい未来へとつなげていく可能性は無限にあるということである。

 今日のカメラブームの裏側には、こういったことに気づかせてくれるまさしく科学技術の恩恵があるのではないか。

【参考文献】

[1]JCII  http://www.jcii-cameramuseum.jp/
[2]Wikipedia