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2008年(第10回)

【入賞】
社会を科学につなぐ技術
京都大学大学院 工学研究科 高分子化学専攻 修士2年
山本 俊介

科学技術が「役に立つ」とは一体どのようなことだろうか?

 これは工学系の研究室で研究をしていると日々考えることである。日々の研究では視点が科学の方に向きやすいが、自分のしている研究は将来的には社会に出て行くべきものである。そう考えると、現状では「社会と科学とのつながり」がはっきりしないのではないか、ということに気がついた。そして、その狭間で「技術」は何をしているのだろうか。

最初に、科学の立場から社会を考えてみる。

 「真理の追究」という目的を持った科学と、社会とは本来異質なものである。そうである以上は何らの努力無しにこの両者を共存させることはできない。そこには両者を媒介するものが不可欠である。それがすなわち「技術」である、と考えられる。技術は科学で得られた成果を社会に応用する、という目的がある。この働きは社会と科学を強力に結びつけるものである。また、昨今社会問題化している「技術離れ」、「理科離れ」も同じ文脈で語ることができる。すなわち、社会と科学の乖離が激しいこと、また科学が社会に対して十分な説明をしてこなかったために社会の「理科離れ」、言いかえれば「科学の社会離れ」が進んでいる結果なのであろうと私は考える。このように技術は科学と社会を媒介するものであり、現状では両者は乖離し始めているといえる。

次に、社会の立場から科学を考える。

 技術はこれまでにさまざまな形で社会を変革してきた実績があり、そのことは社会も認めることである。であるからこそ、社会も技術に期待し、投資をしている。そして、その技術の源泉となるのが科学である。近年は「イノベーション」の語句で社会と科学との関係性を議論する場合が多い。イノベーションとは、経済学の分野でシュンペーターの持ち出した考え方である。すなわち「全く新しい技術や考え方を取り入れて新たな価値を生み出し、社会的に大きな変化を起こすこと※2」である。これは科学の場合でもクーンが提唱した「科学革命」と根は共通している。科学革命とはパラダイムシフトを伴う科学の変化を意味する。
 すなわち、「発展は連続的なものではなく、非連続な過程を含んだものである」ということである。シュンペーターの言葉では「郵便馬車をいくら連続的に加えても、それによってけっして鉄道をうることはできないであろう※5」となる。郵便馬車に蒸気機関という枠外からの要素を導入しなければ鉄道は出てこない。現代社会において、そのようなブレークスルーをもたらす有望なプレイヤーが現状では科学以外に存在しないため、社会は科学に期待をしている点が大きいと考えられる。
 ここで注意しておくべきは、この「革命」が必ずしもマクロなスケールで起きる必要がない、ということである。すなわち、ここでとりあげる「革命」は、これまで歴史的に存在する「フランス革命」(社会)や「量子力学革命」(科学)のような大それたものではない。むしろ、非連続的な変化でさえあればそれだけで重要な意味合いを持つ。また、「発展」という言葉の意味合いについても注意が必要である。発展とはあくまで「変化」のある特定のタイプのものであり、発展ではない変化も存在する。最近ではむしろ、全面的に「発展」である変化は少ないような気さえする。ある変化を発展とみなすかどうかは、特に社会では、受け手の価値観が大きく作用する。例えば、ガソリンの値段が上がるとき、経済的、家計的に見ればマイナスだが、環境面から見るとプラスである。
 ともかく、社会でも科学でも変化には非連続的過程を含み、そのきっかけを求めて相互にそのつながりを必要としている。しかし、特に社会では、その変化が発展である保証はない。

では、その狭間にある「技術」は何者なのか。

 広辞苑には、「科学を実地に応用して自然の事物を改変・加工し、人間生活に利用するわざ※6」とある。しかしこの枠組みには問題が2つある。1つめは「利用」と判断する時点である変化を「発展」とみなす価値観を暗示的に含んでいる点。2つめは科学から社会に向かう方向の動きのみがあり、その逆、社会から科学へ向かう道筋が見えないことである。すなわち、「人間生活の必要を満たすように科学を改変・加工し創造するわざ」が存在していない。
 1つめの問題には技術のこなすべき課題が示されている。すなわち、ある技術を社会に向けて提案する場合には、技術そのものと価値観をセットで提案することが必要となる。「環境性能」などはその一例であろう。この働きによると、技術によって社会の価値観に変化を起こすことができる。その意味で、「技術が社会を変える」といえる。
 2つめの問題は技術に「社会→科学」の方向でアクションを起こすことを求めている。このはたらきは、社会と科学がお互いに目を向けるきっかけという「メンタル面」の効果がある。それのみならず、実際的に社会にとっては社会における「イノベーションの基盤整備」というメリット、また、科学にとっては、累積的発展ではない他の要素を取り入れることで「科学革命」を促進させられる。このアクションで大きく変化するのは科学の方である。科学においては、社会に比べて、変化が直接的に発展を意味する。その点で、このアクションのもつインパクトは大きい。新規科学の創出に伴ってそこから新たなシーズ主導型研究を展開できるので、このアクションはまわりまわって社会の変化、発展に貢献する。すなわち、科学−社会という直線的な関係性から、科学−社会−科学−…というらせん的な関係性が構築できる。
 このように、科学と社会は独立しているが連携している、という描像が浮かび上がってくる。そして技術はその連携という重要な役割を担っている。特に、現在では行われていないが、社会需要から科学へ向かう流れは、科学と社会の両方にとって「発展的変化」の原動力となりうる。

 では、これらを踏まえて(科学→社会の流れに着目して)、ひとつの理想像を描いてみる。社会的需要を技術として掘り起こす、従来のニーズ主導型開発がまずベースとなる。これに基づいて技術開発を行う。そこで、おそらく科学が今まで取り扱ってこなかった、知識の枠組みが未整備の分野の問題が発生する。その分野について科学的な知識整備をする。するとそこからあらたなシーズが生まれる、という流れである。

 このような、社会を巻き込んだ形での科学発展は科学者のみならず、社会一般が科学の発展に寄与している社会となる。そうなれば日本の生み出す科学技術がより社会に近いものになるのではないか。


【参考文献】
[1] シュンペーター−孤高の経済学者−, 伊藤光晴、根井雅弘, 1993, 岩波新書
[2] イノベーション25 web site, 内閣府
http://www.cao.go.jp/innovation/
[3] パラダイムとは何か クーンの科学史革命, 野家啓一, 2008, 講談社学術新書
[4] 科学革命の構造, トーマス・クーン、中山茂訳, 1971, みすず書房
[5] シュムペーター経済発展の理論(上), 塩野谷祐一、中山伊知郎、東畑精一, 1977, 岩波文庫, p180
[6] 広辞苑 第五版, 1998, 岩波書店