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2008年(第10回)

【入賞】
若き科学技術者たちにとって夢のある国に
九州大学 理学部 物理学科 3年
重光 章鈞

 近年、日本の技術者が海外に流出してしまっていることが問題になっている。2008年度は、ノーベル賞に日本人4人が選ばれた。とてもおめでたいことである。しかし、下村先生と南部先生はアメリカで研究なさっているし、南部先生に関してはアメリカ国籍まで取得している。日本の優秀な科学者の海外流出が止まらない。なぜなのであろうか。ぱっと思いつくところでは、日本にはすばらしい科学技術があるのにそれを生かせない、もしくはそれに見合った待遇がないという理由である。しかし、そのような単純な理由からだとは到底思えない。よって私は、この論文では日本の科学技術者の国内での待遇と海外流出について議論していきたい。
 また、技術者の海外流出の影に隠れてしまっているが、私が本質的には同じ問題だと思うのは、理工系学生の文系就職である。ちまたで理科離れが騒がれているが、理科ができる理工系の学生は理科離れによって文系就職しているのではない。単純に、日本の科学者、技術者という職に興味をもてないから文系就職するのだ。科学技術に未練がないなら、国を捨て海外に出てわざわざ研究するよりも文系就職してしまおうという考えは容易に想像できる。このことをもっと重く受け止め、よく考えてみよう
 ここで本題に立ち返り、科学者にとっての夢とは何か考えてみよう。科学者にとって最大の夢の一つ、それはノーベル賞であろう。ノーベル賞の名誉は科学界における最高の栄誉であるし、マスコミからの注目も限りなく集まる。しかし、ノーベル賞を受賞している人たちは一般の人たちからしたら浮世離れしている感があることも否めない。また、年配の方々の受賞が多く、若い人たちが、自分が将来ノーベル賞をとろうと目標にするのは難しいことだろう。

 欧米と違い、日本には独自の価値観がある。出来るだけ多くのお金を稼いだほうが人から尊敬を集められるという欧米と違い、日本では必ずしもそうではないように思える。一例を見てみよう。プレジデント2008.11.17号に、医師の給与体系が載っている。それによると、医者にとってもっともステータスが高いのは、最も給与の低い大学病院であり、人気の低い業種になるほど給与が高いという一見おかしな結果が見られた。医師の世界では、ステータスが上がるにつれ、収入が減るというのである。こうした働き方の違いの背景には、地方は激務のため避ける医師や、訴訟リスクの少ない眼科や皮膚科に進みたいなど、医師の希望が変化してバランスが崩れているらしいのである。これは特殊な例であるが、同時に日本の縮図であるとも私はとらえている。日本においては、生活が安定している状態ならば、次に望むものはさらなる贅沢ではなく、高いステータス、つまり人からの尊敬なのだ。目に見えない地位、名誉、人々からの尊敬などが、お金よりも重要な価値観の一つとなっているのである。
 では、今度は科学技術者が日本においてどのような地位にあり、人々からどのように見られているかを考えてみよう。ここで、有名なフリー百科事典ウィキペディアにおいてエンジニアの関連項目の一つ、システムエンジニアを見てみた。ウィキペディアによると、日本におけるシステムエンジニアの実情は、文理問わず幅広く受け入れている業種であり、一切情報工学に精通していなくとも就業が容易であるとある。IT派遣という言葉も存在しているくらいなので、想像には難くない。このような状態で技術者が高い地位があるとは決して言えない。技術者という肩書きでは、人々から尊敬など集められないのである。
ここまで概要を理解できたら、私たちが日本の科学技術をさらに発展させるため、人材を確保するにはどうすればいいのか結論が見えてきた。科学技術者にはそれに見合った地位が与えられていない。だから、科学者に対する高い地位と名誉の付与が必要なのである。それにより人からの尊敬も集められる。もちろん、金銭面での待遇を考えることは当たり前すぎるし、これまで述べた価値観とは関係ないので、今回は議論からは外す。何より、日本ではお金よりも重要な価値観があるということが重要なのだ。では他にはどのようなものが高い地位、名誉なのだろうか。一つは前出の医者の例でもあったように、高い技術を持って人からの尊敬を集められる例だ。日本において科学者に対する地位や人々の尊敬の念はその能力に比べて決して高くないように思える。偉大な科学者に対しても、ノーベル賞に対するマスコミや世間の騒ぎ方はすごいが、それ以外の科学者、エンジニアに対しては軽視されている感が否めない。本来ならば、ノーベル賞をとれなくても偉大な業績を残した科学者に対して注目するべきなのだ。

しかし、現実問題社会的地位において人々の意識を改革できるなら早いが、そのような思想の改革には時間がかかる。企業と大学、日本の全ての研究機関において格付けを始めるくらいでないと難しいだろう。では、地位がだめなら名誉を与えよう。前述したとおり、ノーベル賞が日本における科学者最高の名誉であるが、ノーベル賞は日本の若者が取った例はもちろんなく、それ自身浮世離れしている。また、基礎的な研究での受賞が多く、応用技術に適用されることが少ない。今こそ、日本においてマスコミが注目せざるを得なくなるような、ノーベル賞につぐ権威ある若者のための賞が必要なときではないのだろうか。今、若い科学者に必要なのは夢と希望である。科学そのものが与えてくれる夢と希望は今この場ではおいておき、社会が与える夢と希望が必要なのである。
また、一度ノーベル賞に次ぐ権威を持つ科学賞というものを制定することを仮定したなら、特に39歳以下の若者の業績に対して賞を与えることと、応用技術に対しても賞を作ることが必要で、さらに、マスコミがそれらの賞に注目するべきである。私たちは今、若い理工系の学生に夢を与えることが必要なのである。
今回の論文は科学技術そのものの素晴らしさを語らず、地位と名誉という世俗的な観点から科学技術者の海外流出を考えた。科学者と言えど人によっては目標や夢とする名誉が必要であり、科学技術の発達には政治経済の方面や世俗的な観点からのアプローチも必要なのである。

【参考文献】
[1] プレジデント 2008年11月17日号 P108〜112