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2007年(第9回)

【特別賞】
「基礎研究立国と科学技術規範」
芝浦工業大学 システム工学部 機械制御システム学科 4年
会田 宙司
会田 宙司

1.緒言
 『中央研究所時代の終焉』[1]という書によって、企業における研究が新たな時代になりつつあることが指摘されたのは1998年のことだ。現在の企業における研究を見る限り、企業及び企業の研究所では、応用研究が盛んに行われている。応用研究によって、企業は知的資本を的確なコア・コンピタンスへ結びつけている。またコアでない研究の外部化が進み、コアである研究を通貨としたグローバルな提携が形成されつつある。この点は同書によって指摘されていたとおりである。しかし、同書では「採算は取れないが社会全体には大きく貢献する研究」が社会のどの部分において行われるか言及されていない。この研究はいわゆる基礎研究と呼ばれるものだ。この点について訳者は同書における未解決の課題として指摘している。
 本論は、「採算は取れないが社会全体には大きく貢献する研究」を積極的に行っていくことが将来の日本における科学技術のあり方だという考えに基づいて述べている。日本は積極的な基礎研究をベースにイノベーションを興し、知的財産を世界に売ることでGDPを稼ぐべきである。そのためにはどの分野の科学技術をどのような方向に発展させていくべきかを重み付によって示した科学技術規範が必要である。

2.GDPは抜かれていく
 近年、「2010年には日中のGDPが逆転するのでは!?」という危惧が叫ばれている。GDPとは一定期間に国内で生み出した付加価値である。国は単純に一定の面積一人口あたりで区切られたものではない。歴史の流れによって国境が出来上がっていくものである。よって、国ごとに人口や面積に大きな差が発生することになる。国家間にはそもそもポテンシャルの差が存在する。この点に注目して考えれば、私には中国のような巨大なポテンシャルを秘めた国にGDPで抜かれていくのは将来的に自明のことだと思える。そこで、「そもそも巨大な国々にはGDPで抜かれる」という前提に立って、将来の日本像を定める方が建設的な議論であると考えた。この前提にたったとき、私は知財立国を積極的に進めていくべきだと思う。すでに幾つかの企業は知財を収益の柱としてとらえ始めている[2]。この動きは将来の危機に対応する事になると考える。

3.日本人は基礎研究に向いている
 日本人の民族としての属性を考える。日本人は農耕民族であり、海洋民族である。これらの民族論は日本では近年急速に広がっているように思える。この民族論は企業のマネジメント[3]から、ラグビーの国際試合に勝てない理由[4]にまで幅広く用いられている。これらから導き出される結論は、帰属するコミュニティを重視しコツコツと仕事をすることに長けている種族であるということだ。日本人が農耕民族であり、これらの特徴を備えていることに対して、否定的な意見が目立つことも近年のトレンドといえると考える。
 では、保守的と言えるこれら性質をもつ日本人は革新的な技術の研究に向いていないのか。そんなはずは無い。基礎的な研究のすべてがダイナミニズムに溢れているわけではないと思う。情報技術の一部では、確かにIQの高い天才の働きがものを言うかもしれない。しかし、応用化学や先進的な材料の研究のように根気がものをいう分野も少なくないだろう。こういった領域では農耕民族によるコミュニティのチームワークが生きるのではないだろうか。
 「グローバルでフラット化する世界の中で、民族論を掲げることは意味がない」という議論もある。しかし、グローバルでフラット化するからこそ国家はローカリズムを強く押し出し、個性的な制度を組み上げる必要がある。でなければ大国に対抗する術はない。組み上げた制度に共感する人間を広く受け入れるべきである。自らの長所を生かし、短所は世界の常識範囲内に留めるよう努力しなければ、小国はやがて取り残されてしまうだろう。日本が押し出すべき個性は基礎研究をベースにイノベーションの発生源となるということであると思う。

4.科学技術規範の必要性
 国家として、基礎研究を活発化させるにあたり、科学技術規範とは何かと、その必要性を訴えたい。
 まず、科学技術規範とは、『科学技術についてのビジョンを重み付したもの』である。特に基礎研究の段階から社会的どのような影響を与えるのか、どのように社会に変革を与えるのかをまとめる必要があると考える。これは科学側からの規範に対するアプローチである。簡単にいえば「この科学技術を使えばこんなことができます」という科学施術からのプレゼンテーションである。また、同様に社会側からの規範に対するアプローチが必要である。現時点で認識されている社会的な問題について、どのような科学技術が必要なのか、科学技術のうちどれが最も有効なのかをまとめたものが必要である。これは社会からの「こんなものがほしい」という表明である。これら二つのアプローチを両立させてこその科学技術規範だと考えている。そして、何よりもこの規範に対して手軽にアクセスでき、さらに意見を述べる事ができ、その意見を集積するシステムが必要だと考える。つまり私が考える科学技術規範とは、個人の意見では無い。専門家集団だけの意見でも無い。ユーザーも含めた関連者集団の意見である。意見は多岐にわたり、集積は膨大である。しかし、それが可能になりつつある事は近年の情報技術によって示されていると考える。
 では、科学技術規範が必要と考えるかを述べる。規範があることによって国家単位での効果的な選択と集中が可能となる。私は前項で述べたように日本のGDPはこのままでは相対的減っていくと考えている。この結果、日本で活動する科学者、技術者には冬の時代が来るだろう。そこで、選択と集中が研究全体において必ず必要になると思う。社会に役立つ研究を客観的に選定するためにこの規範が必要だと考える。規範に基づいた基礎研究は、将来性ある基礎研究となるのでこれによってGDPを高めることができるだろう。

5.科学技術規範の集積の可能性
 前項では科学技術の規範は広範な意見の集積であると述べた。また、可能性は示されているとも述べた。そこで、示されている可能性の具体例を挙げたいと思う。まずは、議論の可能性だ。広範な意見が集えばそこには議論が発生する。ぶつかる事による磨き上げが起きる。この可能性を示す事例としてはウィキペディアがあげられる。議論し秩序が保たれている。ウィキは知の集積では無いという意見がある。しかし、それは重大な欠陥では無い。大事な事は議論の機会が時間的融通と共に与えられることである。
 また、「ニコニコ動画」も可能性を示す存在として捉えている[5]。ニコニコ動画では素晴らしい作品あるいはその作者に「才能の無駄遣い」という言葉が贈られるようだ。そこには、賛美が含まれている。当然、作者には経済的な利潤は存在しない。しかし、この「才能の無駄遣い」には、連鎖が存在している。他社の生み出したものを用いさらに別の作品が登場する現象だ。この現象も意見の集積への可能性を示唆していると考える。とくに高い位置でモチベーションが保たれている事が重要だと考えている。

6.結言
 最後に重み付けについて述べる。科学技術規範は最終的にはそれぞれの科学技術をある程度評価する事になるだろう。それは、科学者や技術者にとって不都合な結果になるかもしれない。しかし、社会的評価がある時点で低いからと言ってその科学技術が人類にとって必要ないとは言え無い。科学技術の多様性はリスクヘッジという側面もあるからだ。しかし、選択は必要だ。この二律背反に妥協点を与えるために重み付けが必要だと考えている。よって。科学技術規範は永遠普遍では無いと思う。私はこの重み付けをサイトのページビューやコメントの量などで行えないかと考えている。何よりも科学技術規範について議論を行う場がアイディアの源泉であってほしい。

【参考文献】
1) リチャード・S・ローゼンブルーム/ウィリアム・J・スペンサー編、西村吉雄訳:中央研究所時代の終焉、1998 日経BP社
2) 田中成省、井上理、永井央紀;カネになる知財 日経ビジネス2007/10/22号特集、日経BP社
3) 森田謙一;『グローバル視点の良い会社の条件』、朝日新聞ニース速報サイト
http://www.asahi.com/business/today_eye/TKY200710290248.html
4) 冨澤浩明;世界との差はなぜ縮まらないのか、朝日新聞ニース速報サイト
http://www.asahi.com/sports/spo/rugby/noside/TKY200608270187.html
5) 吉川日出行 他;企業にとってのニコニコ動画、ITPro短期掲載、日経BP社
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20071018/284847/?ST=ep_webpluse