過去の入賞論文
・2016年(第17回)
・2015年(第16回)
・2014年(第15回)
・2013年(第14回)
・2012年(第13回)
・2010年(第12回)
・2009年(第11回)
・2008年(第10回)
・2006年(第8回)
・2005年(第7回)
・2004年(第6回)
・2003年(第5回)
・2002年(第4回)
・2001年(第3回)
・2000年(第2回)
・1999年(第1回)



























































































2006年(第8回)

【努力賞】
「体で感じる科学技術」
東海大学 開発工学部 生物工学科 4年
今村 脩

 私は約1年前に研究室に配属され、微生物の培養や酵素活性の評価を行う卒業研究に取り組んでいる。
 その中で、多くの体験に触れることができ、自分なりに様々な感想を抱いた。そのことを中心にこの論文にまとめてみたいと思う。

  卒研に入るまで、科学的課題の多くを机の上で学び、本を読むことで自分の理解を深めていると感じていた。現在、解っている全ては教科書に書いてあり、何か分からないことがあっても教科書や参考書を見れば、大抵のことは答えがそこに書いてあると思っていた。実験を行う場合も、予めテキストに何をどのような手順で進めていくかが明確に記されており、結果までもがどのように出るのかと記されているのだ。テキスト通りに行えば必ず明快な回答を得ることができると考えていた。実験の結果は1つであり、十人一色といったところだろうか。何も段取りを考えなくても実験は進み、結果が得られる状況ができているのだ。しかし、自分で計画を立ててみると解らないことが多く、とりあえず仮定をたてて実験を行ってみて結果を検討する。そして、次の実験の計画を立ててみる。この繰り返しだった。自分が知っていることはほんの一部であり、実験をしてみなければ解らないことや気づかない点が多く、実験をして初めて持つことの出来る疑問、そしてその疑問を解決していく実験の楽しさに触れることができた。

 まず初めに、実験をやってみて、文献通りにやっているはずなのに同じ結果がでないということに苦戦した。実験方法が細かく記載されていて、その通りに実験してみても、文献に載っている結果と異なるのだ。しかし、何回も同じ実験を繰り返してみると、文献に報告されているのと同じような結果になってくる。これは実験精度の問題であり、実験器具が上手く使いこなせていなかったという原因が考えられた。また、教科書に載っている写真のように綺麗な結果が出るとは限らない、ということも知った。同じ研究室の友人がペーパーディスク法という方法で天然物による細菌増殖の阻害活性を評価する実験を行っていて、その結果を見せてもらったのだが、教科書に載っているものとは少し違っていた。教科書には細菌増殖が抑えられると増殖阻止円が明確に出ている写真が載っているが、友人のプレートでは増殖阻止円らしきものが、ぼんやりと出ているだけで、くっきりとした増殖阻止円が観察されなかったため、私にはこの天然物が細菌の増殖を阻害しているとはっきりと判断することは出来なかった。実際の実験では教科書のようにきれいなデータが常に得られるとは限らないのである。オイルバスという機械を買ったときも、説明書には槽の中に何リットルのオイルを入れるべきなのかは記載されてなく、試運転をしてみて初めて購入したオイルの量が足りないことに気がついた。そのとき、余熱による温度の誤差などがあることも解り、実際に動かして初めて気づくこともあるのだということを知った。教科書や専門書には、匂いや色といったことはあまり記載されていない。薬品を混ぜることによって色が変わっていく培地や、何とも表現のし難い臭いのする薬品など、実験をすることによって教科書では決して解ることができない様々な発見や体験をすることができる。

 私たちが机の上で学んでいることは他人の経験や結果であり、自分自身が体験して得られる結果とはまた違うものだと感じた。講義を受けたり、本を読んだりすることで理解を深めていくこと勿論大切である。しかし、実験をやって初めて解ることや、結果についての考察・疑問、次にどのような計画で実験を進めていくかを考えていくことなど、科学技術を学ぶ楽しさはそこにあると思う。大学の理系学部の4年間は、専門知識を習うだけでなく、自分から学ぶ時間が大切である。「習う」とは知識や技術などの教えを受けることであるのに対し、「学ぶ」とは知識や技芸を身につけ、習得し、経験することによって知ることである、と辞書に記載してあった。小学校・中学校・高等学校では「習う」ことを行っているのに対し、大学では「学ぶ」ことをいっているのだと思う。私たち理系の大学生にとって、実験とは「学ぶ」ための貴重な場であると考えている。

 実験は、多くの人に支えられることによって成り立っている。研究室内でミーティングを行い、案を出し合い、それについて考え、最良だと思われる方法で実験を行っていく。話し合う大切さを痛感させられる。自分の行った実験結果を紹介し、他の学生からの意見や感想、そして疑問を聞くことにより、また、自分自身も他の学生の実験結果について色んな疑問を持ち、質問し、意見を言うことによってお互いの視野が広がってゆく。意見交換や情報交換を行うことで視点の偏った実験をせず、最善だと考えられる実験を行うことができる。結果のプレゼンテーションには、発表するという能力も必要とされる。他人に解ってもらう為にどのように説明すればよいのか、質問についてどのように答えればよいのかといった対応も重要となる。充実した実験を行うには、このような人との関係が非常に大切であることについて実験を通して知ることができた。私は、今まで述べてきた、実験を通じて肌で学ぶこと、気づくこと、体験することを「体で感じる科学技術」と呼ぶことにしたい。そして、この「体で感じる科学技術」の大事さ、必要性を、今すごく感じている。

 最近の世界を取り巻く状況は、非常にめまぐるしい。それは、コンピューター・携帯電話・ネットワークの発達に支えられている。そのような世界の中で、我々は白か黒かの明確なデジタル情報を効率よく手に入れることができる。バーチャルな疑似体験を手軽に手に入れることができる。これらの技術自体は大したものであり、局面、局面で活用することは大切であろう。しかし、気づいたら、我々の住む世界が白か黒か2色でできあがっていると我々自身が勘違いをする状況は生まれないだろうか。疑似体験を実際の体験と錯覚し、分かりやすい世界の中で我々は過ごしているのだと錯覚することはないだろうか。我々を取り巻く世界は白と黒の2色でできあがっているのではなく、少しずつ色調の異なる灰色に包まれている。我々は五感を使って、その世界を嗅ぎわけて整理し、我々の進むべき道を掴み取らなければならないのだ。そのことを理解するのに、「体で感じる科学技術」を体験することは極めて意味のあることだと思う。そして、その中から、日本の将来を担う思想を背景とした頼もしい科学技術を切り開く人材が輩出するのではないかと考えている。

 しかし、実際には、大学の4年間の中で、「体で感じる科学技術」を体験できる時間は半分にも満たないのが現状である。したがって、もっと大学で、自分で考えて計画し、実験する時間を増やして頂きたい。中途半端な実験では、実験の楽しさを満足に知ることも出来ず、開花できる花までも蕾のままで終わってしまう。専門知識を学び、精力的に実験をしていきたいと思って大学に来る高校生は多いと思う。しかし、大学一年生で抽象的な一般教養ばかりを履修させられては、意気消沈してしまう学生が出てくる。「体で感じる科学技術」の重要性を再認識し、大学でもっと自由に考え、実験し、意見を交わすことのできる体制を中心にすえ、語学などの一般教養もそこに取り込む形で位置づけ、社会に出て通 用する人間を育てていくことで、日本の将来も明るくなるのではないだろうか。研究から学ぶことは専門の知識だけではなく、得られた体験や知識を応用していけばどのような道に進もうと役に立つことである。そこで得た経験は、必ず将来の糧となる。科学技術と日本の将来に、積極的な「体で感じる科学技術」の場づくりを強く提唱したい。