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2006年(第8回)

【努力賞】
「インターネット社会における教育・研究活動」
大阪府立大学 工学部 電気電子システム工学科 4年
中務 諭士

【インターネット時代に見る新しい教育・研究活動】
インターネットの急激な普及に伴い、理工系学生の教育・研究活動は、ここ数年で大きな変化を遂げている。数年前までは、大学の講義や研究室での課題が解らない場合、学生はまず大学の図書館に行き、参考文献を探すという方法をとっていた。しかし、今やほとんどの学生は図書館に行くのと同時に、インターネット上のウェブページに参考になるページがないかを検索するようになったのである。今日、インターネット上にはありとあらゆる情報が氾濫しており、それは理工系の極めて専門的な情報にまで及んでいる。また『yahoo』や『google』といった検索エンジンの登場もあり、私たちが知りたい情報へ辿り着くことは極めて容易なこととなったのである。しかし、教育・研究活動にインターネットを用いることへの影響、また今後のインターネットとの関わり方について、あまり具体的な考察はなされてこなかったように思う。本論文では、これからのインターネットの発展していく方向性を踏まえ、わが国の科学技術発展のためには、インターネットをどう活用していくべきかを提案している。

【集合知能としてのインターネット】
今日のインターネット社会は更なる発展を見せ、『Web2.0』と呼ばれる新しい概念が登場してきている。これについては様々な解釈がなされているが、この概念の大きな柱の一つとして、『人々が相互に情報を交換し合うことで、今まで世界中に散らばっていた情報をインターネットという仮想空間において統合する』ということが挙げられている。これは世界中の知能を結集するということから『集合知能』と呼ばれることもある。そして、このような『集合知能』としてのインターネットの発展は、将来の科学技術の進歩に大きな貢献を果たすと期待されているのである。
ここで一つの例を挙げてみよう。日本で最も有名な『ソーシャル・ネットワーキング・サイト(SNS)』として知られる『mixi』には、様々な『コミュニティ』と呼ばれる同じ趣向を持った人たちで構成されるグループが存在している。その一つに、学校で課されたプログラミングの課題を一緒に考えようというコミュニティがある。そこではプログラミングの課題を提示すると、自分がそれをほとんど理解していなくても、プログラムミングの技術に優れた人々が適切なアドバイスを与えてくれるのである。個人に出された課題を集団で考えることの是非はともかく、ある問題に対してインターネット上で不特定多数の介入を促進するという点が『集合知能』としてのインターネットの大きな特徴の一つである。

【インターネットによる弊害】
このような『集合知能』としての役割は、大きな期待を寄せられている一方で、ともすれば日本のものづくりの精神を壊しかけない危険性をはらんでいることを十分理解しておく必要があると私は考える。それは、日本が戦後60年で目覚しい科学技術の進歩を成し遂げたのは、この国の研究者や技術者たちの自由で柔軟な発想とたゆまぬ努力があったからこそ成し得たことだからである。確かにインターネット上の情報交換は私たちの学問・研究活動において大変魅力的なツールである。私たちは解らないことがあればインターネットを検索すればその答えが必ずどこかに落ちているとすぐに考える。しかし、私も大学4年生で研究室に配属されて始めて思い知ったことであるが、実際の研究活動は、インターネット上の検索と違い、探せば必ずどこかに答えがあるというものでは決してない。研究者や技術者たちは答えがあるかどうかわからない課題を何年もかけて考え、失敗を繰り返すことで、新しい技術を生み出していくのである。インターネットが普及する以前は、学生たちは解らないことは図書館にある難解な専門書を読破することで、実際の研究活動における苦労を肌で感じ取ることができたが、インターネットという非常に便利なツールを手にした現代の学生には、そのような経験は少ないのではないだろうか。そのことがわが国の技術発展に大きな弊害となりうる可能性をはらんでいることを私たちは認識しなければならない。

【インターネット時代における教育・研究活動への取組み方】
このように、インターネットでの検索が容易にできる今日においては、学生たちの自由な発想力や、失敗を繰り返して新技術を生み出していく『ものづくりの精神』が十分に養われない可能性がある。しかし現在、凄まじい科学技術の進歩は、学問体系を細分化し、技術のブラックボックス化を引き起こしている。学生は大学4年間(大学院修士を合わせると6年間)で習得する知識のみでは、社会を支える技術の断片しか理解することはできない。そのような状況下において、『集合知能』としてのインターネットは非常に効果的な答えを示してくれている。私たちはこれから社会に出たとき、自分が専攻する分野以外の、それに付随する分野の知識が必要になる場面に必ず遭遇することになるだろう。そのような場合において、インターネットは私たちの知識を補完する『外部記憶』の役割を果たしてくれるのである。このように、私たちの能力では解決できない問題に対して、インターネットを活用することは非常に有意義なことである。
では学生の『ものづくりの精神』がインターネットによって衰えているという可能性については、今後どういった対応をとっていくべきなのだろうか。この指摘については、学生への教育という立場から考えるべきである。現状として、インターネットで検索できない知識はほとんどないといっても過言ではない。すなわち学生に対して知識だけを問う教育というのはもはや時代に沿わないと言わざるを得ないだろう。学生が自分たちで考え、行動していくことで『ものづくりの精神』は養われるのであり、それを教育に取り入れていくことはこれからの時代において必要不可欠である。そこで私は、新しいものを作り出していくという意味の『創造型教育』を推進していくことが重要であると考えている。この『創造型教育』においては、インターネット上の知識だけでは問題を解決することはできない。学生が自分たちで考え、それを形にしていくという工程を教育に取り入れるのである。例えば、私の学科では3年生でこの『創造型教育』をカリキュラムに取り入れている。学生たちは各グループで課題を与えられるが、そこでは教員はサポートのみで答えを示すことはない。実際に私がいたグループは『鉄道模型の速度制御および停止位置制御』という課題を与えられ、回路作成やマイコンのプログラミングに至るまで自分たちで考えて作成したのだが、そこでは新しいものを作り出すことの難しさを肌で感じることができた。このような経験を積むことで、知識はもはや道具でしかなく、発想力や行動力にこそ『ものづくりの精神』があるということを再確認することができるのである。私はインターネットが急速に普及した現代においてこそ、このような『創造型教育』の需要はより高まってきていると考えている。

【まとめ】
本論文では、わが国のさらなる科学技術発展のためには、インターネットとどう向き合うべきかの考察を行った。今日、インターネットは私たちの生活に密接に関わっており、その存在価値は増していくばかりである。しかし、科学技術の発展という観点からは、その取り扱いについては十分な議論が必要である。私たちは今後インターネットをうまく活用し、なおかつ戦後の日本の経済成長を支えてきた『ものづくりの精神』を継承していくことが重要である。