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2006年(第8回)

【努力賞】
「壊す科学技術と守る科学技術」
日本獣医生命科学大学 応用生命科学部 動物科学科 4年
横溝 了一

西暦2006年、現在に至るまでの科学技術発展の歴史、その大部分は環境破壊の歴史でもあった。それはギリシャ・ローマ時代から既に始まっていた。ギリシャでは壮大なパルテノン神殿が建設されたが、その建築技術の発達には、膨大な森林破壊があった。緑だった丘は切り開かれ、パルテノン神殿自体も森林が破壊されつくしたために石材を利用するようになったという1)。一方ローマでは金属精錬や加工の技術が発達したが、その裏には悲惨な鉛汚染があった。各家庭への配水管は鉛管が用いられていたため、飲み水には常に鉛が溶け出していた。また、この時代には鉛製の鍋や食器が用いられていた。ローマ人の愛飲していたワインやシロップも、鉛製の容器に貯蔵されることが多かった2)
日本においても特に明治維新後、科学技術は急速に発展してきた。殖産興業政策がとられ、繊維産業から産業革命が進行していく。そして科学技術の発展は、経済の発展に寄与してきた。日本の高度経済成長も技術革新によって支えられてきたことは間違いない。石炭から石油にエネルギーは移り変わり、太平洋沿岸にはコンビナートが立ち並んだ3)。しかし工業の発達は水俣病を代表とする公害病を発生させた。また科学技術によってあらゆる分野の効率性が増大したが、大量生産・大量消費の繰り返しにより、大量のゴミ問題が発生した。工業用地の開発やそれに併設する住宅地の開発により森林は伐採され、多くの野生生物が姿を消した。科学技術の発展に伴って環境は破壊され続けた。しかし今、効率性を求めるだけの経済発展だけでなく、持続的な発展が求められている。私たちは自然に対して、科学技術に対して、どう向き合っていけばよいのだろうか。
私は現在、森林保全の大切さを市民に伝えるNPOで活動している。日本の国土のうち、約7割は森林であり、そのうち私有林は約6割である。すなわち日本の森林を守っていくためには、まず私有林を守っていかなければならない。そして倉本聰の言葉を借りれば、「水は森から、山から来ている。森が機能を失えば都市部はたちまち水飢饉に陥る。」そのことを水資源の恩恵を享受している都市部の人々に伝えるべく、私たちNPOは活動している。一方私たちは森林保全の大切さを伝える努力はするものの、現実として日本の木材は輸入材に完全に負け、私有林は用途が見出せず利用価値は崩壊している。しかも、日本が木材を輸入すること、それは東南アジアをはじめとする国外の森林を伐採することを意味する。すなわち、国内の森林は利用されずに荒廃し、国外の森林は過剰に利用され消失する、という二重苦に陥っている。このとき、国内の森林が利用されるためには、間伐などの手入れをこまめに行っていかなければならない。したがって間伐材の販路が開けてくれば、里山の間伐はおのずと進展する。ではどのような間伐材の活用方法が考えられるだろうか。その問いを解決してくれるのは他でもない科学技術である。
例えば蒸煮爆砕技術の研究が進められている。木質材料を数分間、高温高圧の水蒸気で処理した後、急激に常圧に戻すことによって繊維化する技術である。この技術により、木質資源から飼料、建材、香料、医薬原料など様々な資源が精製できる4)5)。むしろ、石油に替わってあらゆる工業製品の原料となるものとして、樹木が注目されている6)
なぜ今まで科学技術は自然を守る方向に、もっと積極的に使われてこなかったのだろうか。それは以下の理由によるのではないだろうか。ひとつは、長い間「自然に手をつけないこと=最大の自然保護」であると信じられてきたことである。確かに屋久島や白神山地に代表される原生自然のように、そういう性質の自然もある。なぜなら自然は、生物間相互作用や無機的環境との作用、反作用により、およそ人間の解明不可能なほど複雑だからだ。人が手を加えることにより、その複雑な作用・反作用を台無しにしてしまうのではないか。そして人の手が加わらなければ、何百年という時間の果てに、「極相」というひとつの形に収まると信じられてきた。しかし近年の生態学では、自然は「動」的で、極相というひとつの「静」的な状態に収斂することはないという見方がされている。つまり生態学的に考えれば、自然は動的なので放っておいて勝手に良くなるものではないのだ。それは里山に代表される二次的自然がよい例である。里山は人間が管理・利用することではじめて健全なものとして保たれる。つまりこの動的な自然を維持するには、人間が介入して自然をある時間の状態に止めなければならない。ただし、人間は計画的に順応的に介入しなければならない。そのためのツールとして蒸気爆砕のような技術をはじめ、さまざまな技術革新がある。
例えば、今までは多くの場合、開発行為を行う際にそこに生息する野生生物に与える影響は考慮されてこなかった。しかし技術革新により今までは後追いで場当たり的だった自然環境の保全も計画的に行うことができるようになった。たとえばGISを使った精密な自然環境の把握により、複雑で動的に関係しあう生態系を客観的にかつ科学的に分析することが可能となった。
また今年はクマの出没が相次いでおり問題視されているが、問題解決のカギとなるクマの生態自体、いまだ多くの部分が謎に包まれている。今までは多大な労力を必要とした野生動物の生態学の研究も、GPSや小型カメラの開発などで、より楽に、むしろ労力の削減と裏腹に正確な情報が得られるようになってきている。以前は発信機を野生動物に取り付け、電波を受信するアンテナ振り回し、野山を駆け回り野生動物を追っていた。また現場でひたすら観察してその行動を記録するという方法がとられていた。そのような野生動物の生態研究も発信機の小型化・軽量化により、今では両生類や鳥類でも取り付け・追跡が可能になってきている。
そして近年のバイオテクノロジーの急速な発展は、絶滅危惧の野生動物の保全や復元に貢献できる。DNAの解析により遺伝子レベルの生物多様性を解明したり、人工授精により希少動物の繁殖が可能となりつつある。最近ではDNAそのもの、つまり遺伝子を操作して、人間の思い通りの生物を作り出すことも可能となっている。遺伝子操作により絶滅した生物を復元できる日が来るかもしれない。
科学技術は人類を滅ぼしうる。そのことに人間が気づいたのは最近のことである。しかし同時に人類はもう昔の生活に戻れないところまで進んできていることにも気づいた。科学技術の進歩は方向性としては間違っていたかもしれない。ここにフランケンシュタイン・コンプレックスという言葉がある。小説「フランケンシュタイン」に由来する言葉で、人間が自らの創造した人工生命に攻撃されるのではないかと恐れる心理を指している。つまり、最先端科学技術は制御不可能であり、人類に危害を及ぼすものであるとして忌避する傾向があるといわれる。それは、一歩間違えればおとぎ話ではなく現実のこととなりうるであろう。実際に科学技術は軍事目的で発展してきた例が多い。先述のGPSは米国国防総省によって構築・運用されている。人工衛星からの電波を利用して緯度・経度・高度を高精度で割り出すシステムである。またインターネットは、起源は米国国防総省が始めた研究プロジェクトである。しかしGPSやインターネットは今や我々の日常生活の中で広く活用されている。科学技術の進歩が導く結果は、結局それを使う我々人類のモラルの問題である。そして同じく自然環境保全の分野でも、科学技術は自然を壊すものにもなれば、自然を守るものにもなる。私たちは故意ではなくとも「壊して」しまう可能性があることを肝に銘じておく必要があるかもしれない。


【参考文献】
1) http://www.ne.jp/asahi/fuse/abraham/europe/europe-south/greece/gr-cruise-index/gr-cruise10-parthenon/gr-parthenon.htm
2) http://www.shigaku.or.jp/World/namari1.htm
3) 科学技術の発達と環境問題−科学技術の発展が人類にもたらした光と影−、井上尚之(著)、2002年4月、東京書籍出版、p206
4) http://www.jsps.go.jp/j-rftf/projectpdf/i/97i00504.pdf
5) 里山の環境学、武内和彦・鷲谷いづみ・恒川篤志(編)、2001年11月、東京大学出版、p181
6) http://www.miraikan.jst.go.jp/