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2006年(第8回)

【最優秀賞 文部科学大臣賞】
「エンジニアの卵にこそ国語教育を」
工学院大学 工学部 機械システム工学科 3年
山口 昌宏

平成18年8月、2歳の女児が、業務用シュレッダーに指を巻き込まれて切断するという傷ましい事故が報道された。この事故の最大の原因は、シュレッダーの紙投入口が約8ミリあった事である。この約8ミリという隙間には大人の指は絶対に入らないが、生後間もない幼児や幼い子供の指の太さより大きな寸法なのである。私は工科系の大学に通う学生として、シュレッダーの設計に疑問を感じた。なぜ設計者は、消費者の環境を考慮せずに設計をしてしまったのか?過去に同様の事故があったのにも拘らず、その失敗を活かさなかったのか?私はその要因を「設計者の感性の欠如」だと考える。そして、この問題を解決する1つの方法として、国語教育の充実が必要であると私は考えた。以下、「なぜ国語が必要なのか」、「エンジニアに必要な感性とは?」、この2つの視点から論じていく。

1. なぜ国語教育が必要なのか?
 私は「祖国とは国語」(著者:藤原正彦氏)という本の冒頭に記されている「国語教育絶対論」に深く感銘を受けた。国語教育絶対論の大まかな論旨は以下の3点である。
(1)国語とは情報伝達の手段としてのみ学習する科目ではない
(2)国語は、教養の土台を作り、論理的思考を育て、感性・情緒を培う
(3)感性・情緒を培う国語こそ、小学校時に最も時間をかけて学習しなくてはならない科目である
私はこの本を読むまで、国語とは単なる情報伝達の為の科目であると感じていた。以前は、「漢字さえ習ってしまえば基本的に文章を読む事はできる。文章さえ読めれば国語など勉強する必要などない」と考えていた。しかし、私達は本当に正しく読む事ができているのだろうか?私は以下に示す経験の中で、次世代を担う現在の高校生の国語力に疑問を感じたのである。
私は最近まで、学習塾で高校生に受験指導をしていた。主に数学と物理の指導をしていたのだが、自分が担当する生徒に次の様な問題があり驚いた。それは、問題文を読んでも、問題文の趣旨が分からないという事が度々あったからである。特に物理の試験問題の添削をしていて感じた事なのだが、問題文の中から答えを導く単語を見つけ出す能力が低下している。一般に物理の問題文には、問題を解くためのキーワードが必ず隠れている。そのキーワードを見つけ、問題作成者の意図を汲取る事で問題を解いていく。キーワードを見つける事ができない原因は国語力不足であり、これは高校生だけの問題ではないと私は考える。問題作成者の意図を理解しようとする意識と、意図を感じる能力の低下は様々な問題を引き起こす。そして私は、相手の意図を感じ取れないことこそ、感性の欠如だと考えるのである。
このような体験から、私はただ単に文章が読める事が大切なのではなく、文章や相手との会話から真意を感じる事が大切であると感じた。そして、相手の真意を読み取る能力を磨く最も有効な手段の1つが、国語教育だと考えるのである。この能力は、社会人の基礎として全ての人に求められる能力であるが、特に消費者の身の回りで使用される製品を、設計するエンジニアにこそ必要なのである。

2. エンジニアに必要な感性とは?
 エンジニアとして必要なモノ。それは、専門技術はもとより、最新技術やそれを習得する為の基礎的な教養が絶対に必要である。基礎的教養なしには、現代の洗練した技術は習得できない。しかし、次世代を担う学生は国語力が不足している。国語力が足りない為に、物事の本質が理解できないのである。このような教養の基礎ができていない状態で、次世代の若人は日々刻々と進歩する科学技術を習得し、発展させて行く事ができるであろうか?
エンジニアの使命は、消費者の暮らしをより豊かにする事である。その為、物事の本質を理解する真の教養とそれを補強する感性こそが必要なのである。私は教養と感性を磨く最善な方法の内の1つが、国語教育の充実であると考える。国語力の向上は、文章を読む事への抵抗を軽減させる。すると、自然と読書量が増え語彙が豊富になる。語彙が豊富になる事で知識が充実し、教養と感性も育まれるのである。実際に教養と感性は、各個人の実体験や他者の話を聞く事によっても養われていく。しかし、教養と感性を育む為には実体験だけでは限界がある。一人の人生の中で体験できる事などたかが知れているし、体験しようにもできない事は数多くあるからである。だからこそ、過去の貴重な体験を読書という手段で疑似体験する事も、感性を養う上で大切になる。私はこの疑似体験こそ、学校での国語教育による情緒・感性等を補強する役割を担うと考えるのである。日本には古典文学を筆頭に、世界に誇れる素晴しい文学作品が数多くある。それらの名作を読み込み、自分では体験する事のできない貴重な雰囲気を感じ、教養と感性を磨くのである。
また、読書は教養・感性と同時に、論理的思考力も育む。新しい情報を理解する為に、筋道を立て正確に順序良く考える訓練が自然にできるのである。そして、論理的思考力は、コミュニケーション能力に多大な影響を与える。私たちは、言葉を使ってお互いに意思疎通を図る。普段の日常会話は勿論として、学習する際にも、他人に説明する際にも言葉を使って表現をする。言葉には、1つの意味に対して何種類もの表現がある。数多くの語彙や表現方法を習得し、その状況を的確に表現できる力がなければ、自分の意思を正確に相手に伝える事はできない。同様に、自分が十分な語彙と表現力が備わっていても、相手に能力がなくては高度な意思疎通はできないのである。
エンジニアには、使用者の環境を多方面から捉える真の教養とそれを補強する感性が必要不可欠である事は上で述べた。しかし、現代のもの作りの背景を考えると、構造・システムの複雑化のため、一人の技術者だけで全ての工程を行う事はできない。つまり、論理的思考力に裏づけされた、他者との高度なコミュニケーション能力も必須なのである。私は自分の周りの何気ない一言に敏感に反応できる為にも、優れた感性がエンジニアに求められると考える。そして、これらの能力は全て国語力の向上の恩恵なのである。

3. まとめ
 平成14年度に導入されたカリキュラムによると、小学校国語の総時間数は、戦前の1 /3程度にまで落ち込んだ。現在の教育制度を改革する為に、今なお政府内で議論が続いている。こうした状況の中で、小学校からの充実した国語教育を行う事により、現在の学力低下などの問題を解決しようという考えに異論はない。
 しかし、ここで1つの問題が残る。国語教育を徹底していない現在の小学生・中学生・高校生の世代は、社会に出てから活躍する事ができなくなってしまう。そこで私から、彼らが次世代を担っていけるようにする為に以下の提案がある。知識がある程度身に付き、学習する事の真意が理解できる大学生になった時に、全ての大学生を対象に再度国語教育を行うのである。更に、エンジニアの卵である理工系の大学生には、国語教育で育まれた感性を補強する為に、次に示すカリキュラムを推奨したいと考える。
(1)大学3・4年次にそれまで各個人が学習した内容を元に、同学年の生徒に対して講義する
(2)講義内容は各個人が設定し、カリキュラム・教材は自分で用意する
(3)講義を開いている生徒は講義者の発表を毎回評価する
(4)講義はビデオ撮影し自分で自分の講義をチェックする
(5)全員で講義内容に対する反省会を行う
以上のカリキュラムを実施することで、立場を変える事による観点の相違が体験でき、彼等に真の教養とそれを補強する感性が身に付くはずである。そして、今回の事故のような危険なシュレッダーは二度と設計されないと信じている。私は、教養と感性の2つの柱が強靭なエンジニアこそが、日本の誇るべき財産になると考える。そして、この礎を築く為に、国語教育の充実が必要なのである。


参考文献
(1) 日本経済新聞 平成18年8月24日 日本経済新聞社 p.39
(2) 毎日新聞   平成18年8月24日 毎日新聞東京本社 p.31
(3) 祖国とは国語 藤原正彦 平成18年1月1日 株式会社新潮社 p.12−p.45