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2005年(第7回)

【努力賞】
「科学と技術について」
名城大学 理工学部 電気電子工学科 4年
水野 智文

 「科学技術」。その言葉を見た時、直感的にどんなイメージを持っただろうか。人それぞれ違うと思うが、私はクローン技術に代表されるバイオテクノロジーが真っ先に頭に浮かび、最先端の基礎研究を連想した。ATやパワステ等の「技術」から連想される親近感が剥ぎ取られ、難解で高尚である種近寄り難いもの、つまり学問としての「科学」の純度が高められていると換言できる。それが私にとっての「科学技術」のイメージだ。それは私の独断と偏見であり、一般論では無いのかもしれないが最近では着実に理科離れが進行している事は事実である。その一つの要因としては上に挙げた「理科=とっつき難い勉強」と言うイメージも影響しているのではないのだろうか。
 理科離れと言うのは理系への進学をしないだけでなく理系に進学したにも関わらず理科系の現象に興味を示さない事も定義の一つとしてあるのだが、それは現在の教育方法に問題があるのでは無いのだろうかと私は考えている。そこで「科学」と「技術」と言うキーワードを用いて、現在の教育による理科離れの問題点を「目的」と「方法」と言う2つのテーマに分けてこれから述べていく事にする。
 
【理科を勉強する目的】
 高校生が大学受験するにあたって理系学部を選択しないと言うのも問題となっていて議論により様々な理由が挙げられるようになってきた。概ねの見解としては理系の社会的地位の低さや、自然の減少等の子供を取り巻く環境の変化や、ゆとり教育による弊害では無いかという意見で一致しているようだが、私は最初に述べた「科学技術」のイメージを理系から連想できる事が倦厭される理由では無いかと思う。
 現在の教育は「科学技術」における「科学」的な教育と言う事が出来る。ここで言う「科学」と言うのは仮説と実証等の厳密な定義の事では無く、俗的な部分も含む「技術」に対して学問的色合いが強いと言う私の印象から派生したもので、現在の一連の教育体系を指していると捉えて頂きたい。
 現在の教育、つまり「科学」は目標の決定を困難とする欠点があると思う。例えばある理系科目を勉強していたとするとして、「その科目を勉強する事の意味」を問われたとき、それに対する解は「次の科目を勉強する為の知識の蓄積」以外他に無いのではないだろうか。それだと新しい事を学ぶ度に勉強を楽しんでやる人ならいいのだが、それ以外の人には勉強する事に対する目標は無く、あたかも出口の見えない暗闇に放り投げられた気持ちになるのでは無いのではないだとうかと思う。
 そこで私は「科学技術」における「技術」教育を行う事を提案したい。ここで言う技術と言うのはエンジニアの日常の業務を想定しているのだが、エンジニアは限られた納期までに所望の成果を出さなければならない。その成果を出す為には専門外の知識を要する事もあるだろうから、今まで読んだ事の無いの部類の文献を読む事も出てくると思う。つまりエンジニアは目の前に「具体的な目標」を設定し、必要に応じた「知識の追加」を行って成果をあげていると言える。その様な目標の設定の仕方は教育にも応用できるのでは無いだろうか。
 
【学習方法】
 また、教育はボトムアップ方式の「科学」的な勉強方法からトップダウン方式の「技術」的な勉強方法にシフトする事を提案したい。前者は体系的な知識を構成する為にピラミッド方式に様々な知識を蓄積させていく教育方法だが、それよりも後者のように対象に適している理論を適宜採用してモノ作りを行っている「技術」的、つまりトップダウン式の勉強方法にした方が能動的に勉強を行う事が出来て良いのでは無いかと思うからだ。
 自分の経験で言うと、四則演算から始まった数学の講義は三角関数、複素数、ベクトル解析、微分積分、ラプラス変換、フーリエ解析と様々学んできたが、それを学んでいる最中ではそれが何の役に立つのか理解出来ていなかった。ただその時は追試を受けない、受験で必要である、単位を獲得する等の目的で勉強してきた為に能動的に数学を学ぶ事は無く、数学の楽しさを享受する事は無かった。
 特に知識の蓄積量が膨張し続けた現在においては、ボトムアップ式の勉強方法では行いたい研究にたどり付くまで勉強量が多くなりすぎて、余計にその時々で行われている勉強と目的との関連性が分かり難くなっている様に思う。また、知識は時間が経過すればするほど蓄積量は増えていくのは明白であり、それに伴ってボトムアップ式の勉強方法では理科離れも加速する危険性さえ危ぶまれる。
 しかし、そのような蓄積された知識に比例して技術も発展していくと思うので、興味あるテーマは減少する事は考えられ難い。事実、日経サイエンスやNewtonと言った様な科学雑誌には毎回、心躍るような研究結果が掲載されているし、そもそも科学雑誌を買わなくても車でドライブする時には車に搭載されている新技術に興味を持つ事もあるだろう。車はどうやって動いているのかとか、カーナビはどんな仕組みで動いているのかとか、家にいてさえも高速大容量のデータ転送を行うインターネットの仕組みは何なのかとか、日常に潜む疑問のテーマには事欠かない。技術を「必要は発明の母」と言うならば教育は「興味は勉学の母」とでも言うべきか。
 最近では自然と触れ合う機会が減少しているにも関わらず昆虫の体のつくりを学んだり、どんな製品に搭載されているかも分からないにも関わらず、いきなりモーターの性質を学んだりする等の時代に即さないものが大きく目立つように思う。テーマをロボットとし、その最中でロボットを構成する重要な部品であるモーターの仕組みについて勉強を行うとするならば、身近な機械であるロボットの理解と言う勉強の最終目標が設定でき、またロボットと構成部品の関連性の理解によりモーターを学ぶ意義が生まれ、モチベーションが上がるのではないかと思う。

【最後に】
 私はモノ作りが盛んな愛知県に生まれ育ち、親も祖父もモノ作りをしていたので自然と将来は工作機械や自動車等のモノを作る仕事を就きたいと子供の頃から決めていた様に思う。その様に進路で理系を選択するのに有利な環境に生まれた結果として理系に進んだが、元々は物理と化学が苦手科目だった。電気工作のエンジニアとしてモノ作りをしたいと言う強い信念が無ければ本来は理系にいるはずの無い学生だったかもしれない。
 今回、「技術」教育についての私見を述べる為に「科学」に対して「技術」にアドバンテージを与える事にしたが、「科学」の発展なくして「技術」の大きな飛躍が無いことは確かである。決して「科学」を貶める事を目的に書いたのではないのだが、ただ教育の目標と方法を「科学」とする「科学」偏重教育には疑問を抱かざるを得ない。勉強と言うのはやはり辛い事であって、決して楽なものではない。しかも理系科目は文系科目に比べて一般的に理解が難しく、それなりの時間を勉強に費やす事が必要とされる。文系か理系か選択の岐路に立たされた時、理系が選択される為には「車のエンジニアになりたい!」等の理系の優位性が判断の決定材料になるのでは無いだろうか。
 私は「科学技術」と言うのは、上半分は「技術」で下半分が「科学」で構成されている逆ピラミッドの様なものだと考えている。「技術」と言うのは「科学」によって発展させられた既存の理論を道具として用いる事でモノを作っていると捉えていて、どちらもあくまでモノを作る事を目標としているには違いないと思うのだが、それが直接的か間接的かと言うプロセスにおいて相違があり、現在では後者が科学技術のイメージを担っている為に理科離れと言う結果として反映されているのではないかと思うのだ。最初は誰もがエンドユーザーである。「技術」教育で理科系の門戸を広げた方が科学技術の発展に貢献できるのでは無いだろうか。