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【努力賞】
「日本の基礎科学社会の構造的問題について」
東京理科大学 理学部 物理学科 3年
吉村 真悟

 科学技術の進歩は人類の進歩であり、その発達を促進させることは人間の責務である。科学技術を根底で支えるのは基礎研究であり、世界中の研究者がこれに携わっている。日本の基礎研究のレベルは決して低くは無いが、その裾野は非常に狭く、また基礎科学社会には構造的な欠陥がある。真に科学技術立国の名にふさわしい国になるためには、この問題を解決しなければならない。原因は、大学や大学院を筆頭とする科学社会と一般社会の歯車が外れていることにある。日本の研究力を高めるには、優秀な人間を輩出するだけでなく科学が文化として一般社会に広がる必要もある。基礎科学を学んだ者が幅広い分野で活躍するようになればよいが、そのためには大学、大学院での教育を改める必要がある。さらに彼らを受け入れる一般社会にも問題がある。この論文では二つの社会が如何に上手く相互作用していないかを説明する。

 理工系の学部を出た人間の数は多い。例えば私が在籍する学科には毎年100人以上が入学する。彼らが理工系に進学した動機は、大きく分けて次の三つになる。

(1) 研究者になるための能力を身に付ける。
(2) 小・中・高等学校で自然科学を教える教員になるための能力を身に付ける。
(3) 科学を一つの文化として、つまり人間の基本的教養の一つとして学ぶ。


 三種類の学生の要望に対し、日本の大学が彼らに与えるのは主に自然科学の専門知識だけである。無論一般的な教職科目は存在するが、特定の科目を教える訓練というのは少ない。実はこれだけでは(1)に対する必要条件しか満たせず、十分条件足り得ない。研究者になるためには専門知識だけでなく、自分で取って来た資金を元に計画を立て研究し結果を出すのに必要なマネジメント能力やプレゼン能力等が求められる。欧米では研究室のボスにPI(Principle Investigator)という名がついていることからもこの事は理解できる。これらの能力は学部では無く大学院で教えられるべきだが、実際には訓練として存在しているわけではなく、各々が独力で習得するという状況になっている。欧米の大学では、基本的には学部での教育は教養であって専門は大学院でやるという視点があり、上の(2)や(3)を満たすような授業がある。広く学ぶと言う意味で(Double) Major, Minorという概念が存在するし、 例えばPhysics teachingという授業が学部の物理学科で行われているところもある。以上の事から、日本の学部課程は研究者向けの専門知識を与えるだけの教育しかしておらず、そのカリキュラムを改める必要がある。

 研究を志す学生は大学院に進学する。日本の大学院の大きな問題点の一つは、学生への経済的支援が整っていないことにある。アメリカやカナダの大学院ではResearch AssistantやTeaching Assistantによって大抵の理学系の学生は授業料免除に加えて生活費が与えられ、返却義務はない。これらの資金は研究室のボスがとってきたグラントから払われる。院生の出来によって自分のlabの価値が上がり、グラントが取れるようになるので、ボスが一生懸命院生を教育するし、出来が悪い院生は解雇され、奨学金が打ち切られる。従って院生も生き残るために必死になる。一方日本の場合、博士課程に対する返済義務無しの経済支援として学振(学術振興会研究奨励金)があるが、これを受けることが出来るのは約一割程度である。学振がとれない学生は、授業料+生活費を自分で工面するか、親に頼るかして研究をしなくてはならない。他に日本学生支援機構(旧育英会)による奨学金が存在するがこれは給与ではなく借金である。以前は返済義務が免除される免除職があって、研究者になれれば借金ではなくなる制度があったが、独法化の際に廃止された。従って月10万借りるとすると、博士号をとるのに5年かかるとしても600万の借金となる。そのような学生は、博士号と600万の借金とともに社会にでることになる。また、Facultyからみると、自分でとってきたグラントで院生を雇っている訳では無いので、そのような意味でボスが教育に必死になる必要は生じない。よって大学院生を無償労働者と勘違いして単に実験のソルジャーとしてしかみなさない人もいるし、逆に院生を放置している人もいる。

 では、これらの欧米のシステムをそのまま日本に適用して、ただ大学院生へ経済支援を改善すれば良いのかというと、それだけでは上手くいかない。さらにもう一つ大きな問題−就職問題が存在する。博士号を取得すればそれで終わりではなく、むしろ研究キャリアの始まりであり、この時博士には二つの選択肢がある。ポスドクへ行ってAcademic Positionを目指すか、一般企業へ行ってNon-academicな世界に行くかを選ぶのであるが、どちらの道も非常に狭い。大学院重点化政策によって大学院生の数は莫大に増えたが、彼らを教育し、また彼らの将来の就職先でもあるAcademic Post(以下アカポスと略す)の数は変わらなかった。当然卒業後彼らのほとんどはアカポスにはつけない。そこで政府はポスドク一万人計画を打ち出し、彼らがポスドクにつけるようにはしたが、ポスドクは定職ではないので根本的な解決にはならなかった。結局、需要が少ないのだからアカポスの数は減る事はあっても増える事はまず無い。従って一般企業への就職を希望する(せざるを得ない)人間が莫大に増えることになった。しかし博士号取得者は一般企業に歓迎されていない。一方アメリカの場合、Ph.Dは産業界の評価は高い。一般企業への就業率を見ると日本はアメリカに比べて非常に低いことが分かる。この違いは、大学院でなされる教育の違いを反映している。上述した通りアカポスの数は少なく、博士号取得者の多くは産業界への就職することになるのだから、大学院ですべき事は、もちろん高度な専門知識の習得も重要だが、まず独立して研究ができる能力を身に付ける事だと考えられる。日本の企業が博士を評価しない理由の一つは、その能力が修士と大して差が無いのにも関わらず修士卒4年目の給料を払わなければならないからである。つまり企業の価値観からすれば、その二者の違いは知識の差であって、研究計画をマネジメントする能力などはどちらも変わらない様に見える。この問題を解決するには、大学院での教育に研究計画を自分で立案して経営していく実践的な機会を率先して与えていくことが必要であるが、これを実行するには障害がある。

 学部課程の教育改革についても同じ問題があるのだが、日本の制度では大学教員は研究でしか評価されない。従って教育に熱意を注ぐ教員の数は少なくなる。それゆえ教員一人当たりの負担が増え、教育の質が下がるのである。抜本的に教育改革をするには、まず教育に力を入れてもそれが実績として見なされないという構造を変えないといけないのである。

 主張をまとめると次のようになる。
1. 学部課程の教育方針を変え、広く学生の要望に答えること。
2. 学費免除を含め大学院生への経済支援を充実させ、学生・教員共に意識面での改革も実行すること。
3. 専門知識だけでは無く、研究リーダーを担えるような能力を大学院で獲得できるように、大学院の教育方針を変えること。
4. 以上の三つを現実に実行できるように、大学及び大学教員の評価方法を改めること。
これらを実施することによって、日本の研究者の環境は改善され、科学技術立国に近づくだろう。そしてその結果は、学問を通じて世界全体への貢献につながるのである。