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2004年(第6回)

【努力賞】
「化学に恋した私の夢」
岡山理科大学 工学部 応用化学科 4年
小野 由加里

 私は化学が好きだ。きっかけは、祖父の死だった。祖父が亡くなったとき、私は中学生だった。当時、祖父が毎日つけていた日記と祖母と母の話から、私は、薬の所為で祖父が亡くなったのだと、ずっと思っていた。私は、医師からの死についての説明を全く聞いていない上に、今でも祖母が「薬の所為で死んだ」と時々言っているので、今でもそうだと思っている。その出来事を期に、同じ副作用でも、もっと違った副作用であったり、副作用が従来の薬よりも少ない薬を作りたいと思い始めた。薬を作るためには化学が必要であり、それを勉強したいと思って勉強していたことと、化学の先生がすばらしかった事が手伝って、気が付けば私は化学の虜になっていた。

 化学に恋をして、かれこれ7年目になる。日々進歩していく化学に追いつきたくて、一生懸命追いかけた。それでもめまぐるしく進歩していっている。化学と私はいたちごっこのようだった。いくら追いかけても追いつけなくて、追いつけないことによって、化学に対して色々な考えが深まっていった。そうして追いかけていくうちに、化学に対して自分の考えを持つようになった。化学に恋をし、化学の事を考えた事によって、私には夢ができたのである。夢は、大きく分けて三つある。

 一つ目は、祖父や私、私の家族を苦しめた“薬”の改良と開発である。例えば、喘息等で用いられる気管支拡張剤には、私が知っているだけで3種類の薬が存在する。私が知っているだけでこの数なので、きっとその何十倍もの種類の薬が存在するのであろうと考えられるが、それらの薬は、『気管支を拡張する』という共通の効果を持ちながら複数種類が存在する。これは、患者に合わせて用途を変えている、すなわち、色々な人の体質に応じた副作用を軽減させるために、一種類でなく複数種類の薬が用意してあるのだろうと考えられる。一つの病気に対しても、患者が違えばそれに合わせて薬も変えていかねばならない。しかし、同じように治療して処方した薬でも、思いも寄らぬ副作用が発生したり、どの薬とも相性が合わない場合も存在するだろう。また、現代は、生活環境の変化に伴い、病気自体も多様化の兆しを見せ始めている。病気や患者層の多様化に向け、患者に合わせた薬を使えるよう、薬の多様化に向けた新薬の開発が急がれていると考える。全ての人が、私のように、家族の死に対して疑問や不信感、納得できないという感情を抱かなくてすむように、未知の病気に対しての薬の開発を目的とした研究だけでなく、今現在存在する、なおかつありふれた病気でも、その病気に対しての薬がもっと必要になる場合があるので、その病気に対しての薬の研究を行っていく必要があると考えられる。

 二つ目は、理科好きの子どもを育てるための教育課程の確立である。近年、理科好きの子どもが減少傾向にあると言われている。その背景には、教育課程の中で理科教育が軽視されていることも原因であると私は考えている。例えば、教科書や授業内容の削減などが、とても著しく感じた。他の教科でもそうなのであろうが、理科の削減の度合いに、私は驚いたのを覚えている。最近になってやっと、『スーパーサイエンスハイスクール』等を受けて、理科好きな子どもを集め、未来の日本の科学技術を担う人材を育てるための試みが始められている。しかし、これはほんの一握りの子どもだけに与えられたチャンス、という形になってしまっている。未来の日本の科学技術を担っていくのは、ほんの一握りの子どもたちではなく、現在教育を受けている子どもたち全員のはずである。すべての子供が平等に科学者になるチャンスを与えられるよう、大学と提携を取った課外授業を中学・高校の頃から設けることや、理科好きの子どもを集めてのセミナーなどを、今までよりも多く行い、それを踏まえた上での教育課程を確立することが必要であると、私は考える。また、小学校低学年の頃から理科の実験を多くやるよう工夫すれば、理科好きの子どもも増えるのではないかと考えられる。

 三つ目は、化学で地球や世界中の人々を救うことである。近年最も重要視されている地球環境問題は、地球温暖化問題であると私は考える。今までに無かった病気の発生、今年の日本での台風の数を始めとする異常気象等、地球温暖化が原因ではないかと考えられる。その地球温暖化を、車から出る排気ガスの量を減少することで少しでも解決出来るのならと思い、私はミトコンドリアの膜間スペースに存在する水素イオンを用いて水素を発生し、その水素を燃料電池として用いることが出来ないだろうか、と考えた。ミトコンドリアの膜間スペース内に、脂質二重膜を透過することが出来、なおかつ水素イオンを包む物質を入れ、選択的に水素イオンをミトコンドリア外に出す、と言うプランなのであるが、それはミトコンドリアに限らず、水素イオンや水素を発生させている微生物や、バクテリアを対象として実施できると考えられる。この考えが実際に実施できれば、車に限らず、化石燃料に頼りきっている現在のライフサイクルの改善を図れるのではないかと考えている。現在地球内にいて、無限のエネルギーであると言われるのは太陽光であるが、太陽光エネルギーを用いた発電等も有効である。

 化学とは、人々を幸せにするための学問であると私は考える。かつて、アルフレッド・ノーベルは、ダイナマイトを発明した。そして、そのダイナマイトが戦争に使われたことにより、ノーベルは「武器商人」「死の商人」と呼ばれた。ダイナマイトも、化学が生み出した産物である。ノーベルのダイナマイトに限らず、戦争で用いられた原子爆弾も、毒ガスも、青酸カリなどの人体に影響のある薬品も、全て化学が生み出した兵器となりうるものであり、人を殺めるための道具として使用された例が多くある。例え人間の生活を楽にするためのものであっても、原子力発電所は一歩間違えば巨大な原子爆弾となってしまうし、プールの水を綺麗に保つために使用している塩素は、時折、皮膚の弱い人を傷つけている。化学は破壊を生むものだ、という認識を持つ人も少なくないだろう。しかし、人間生活を快適かつ裕福にしているのも化学である。20世紀が「戦争の世紀」と呼ばれるのであれば、21世紀は「平和で快適な世紀」として、将来子どもたちに託したい。戦争に化学が多用されたように、平和のためにも、上記に記したような「地球温暖化をストップさせる方法」等の形で化学が多用されるべきだろうと私は考える。そのための重要な要素は化学が担っていると私は思っている。

 日本は、すばらしい発展を遂げてきた。世界に通用するような科学技術の進歩も見せ、結果として多くの方々がノーベル賞を受賞し、その人たちに続けと、一生懸命に日々勉学に励んでいる人も少なくない。その結果、科学自体が全ての人に対して身近なものとなり、ほとんどの人がその科学技術の賜物と触れ合いながら生活をしている。触れ合う機会が増えたからこそ、それに伴って化学を悪用した事件も増えてきている。例えば、ある人は薬で元気になって幸せに暮らしているのに、ある人は薬の為に命を落とし、周りの人間まで不幸にしたり、一生消えることのない傷を負わされてしまったりしている。このように、化学は、幸せを作り出すことも出来るが、不幸を作り出すことも出来る。

 私が化学に恋をしたように、化学に恋をしてくれる人材が増え、化学の事を考えた結果、ちゃんとした認識を持って化学と向き合える人材が、今後日本の科学技術を支えていってくれることを私は願っている。

<参考文献>
http://www.isatokyo.org/opportunity_sweden/people/031215/
http://www.city.tokyo-nakano.lg.jp/seikatueisei/eisei-jyoho/eisei-jyoho-2002-07.html